2013年09月10日

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20130902_171538.jpg美容院に飾ってもらう
ボード作品が完成しました!

笑顔は
辛い時を
乗り越えるために
あるんだ!!
posted by Morii at 15:03| 日記

2013年06月02日

バイオグラフィーBLOG 64

人生とは本当にわからないもので
たまたま始めたこの居酒屋でのバイトの
一番の収穫は、偶然、座敷で出会った旧友との
懐かしい再会だった。

ようやく仕事にも慣れ、いつもの様に
威勢よく生中を運んでいる僕の足が、
突然、誰かに

パシッ!

っと叩かれた。

一瞬、何で!?
何故いきなり叩かれるの!?

そう思いながら、足元に座っている
お客さんの顔に目を向けると

何とそれは
小中とずっと仲の良かった
友達との再会が待っていた。

おー!!久しぶりー!!!

何年振りだろう?

ホント、久しぶりの再会に
心から嬉しく思えたんだ。

両手いっぱいに生中を担いでいる
僕の足元の座敷に座り
額に汗して働いている僕の顔を
下から見上げながら

い、一体こんなトコで
何やっとんの!?

ま、まぁいろいろあってねぇ〜(苦笑)

それが、数年ぶりに再会した彼との
ファーストコンタクトだった。

全く予想だにしていない突然の再会に、
人生は、いつ・どこで・何が起こるかなんて
本当に分からないってことを僕は知ったんだ。

卒業後、数年間もの間
音信不通だったにも関わらず
この偶然の再会をきっかけに
その後、数年間にも渡る、長い長〜い付き合いが
スタートするとは、この時はまだ知るよしもなかった。

この時、僕は思ったんだ。

決して今日は
昨日の延長なんかじゃないってことを。

昨日までは全くなかったことが
今日にはあっさり起こってしまう。

それが「今日」なんだ。

今日という日を昨日の延長にしてしまえば
今日という日に奇跡(ミラクル)は起こらない。

たとえ、昨日は何も起こらなくても
今日こそは何かが起こるかも知れない。

それが、「今日」なんだ。

決して今日は、昨日の延長なんかじゃないんだ!

何だかんだあって結局、そう長くは続かなかった
居酒屋でのバイト。

ただ、ここで得たものは
接客技術でも、料理法でも、経営理論でもなく
間違いなく数年ぶりの再会を果たした彼との出会いだった。

時間にしてわずか1分。

ほんの一瞬の彼との出会いが
その後の僕の人生を大きく変えてくれたんだ。

良くも悪くも
人生とは出会いで大きく変わるもの。

だけど、ただ人と人が会うことを
「出会い」とは言わない。

人と人が会うことで
ドラマが始まることを
「出会い」ということを僕は知ったんだ。

一瞬の素晴らしき出会いが
一生ものの出会いに変わる。

バイトが終わり、速攻で
彼の部屋に飛び込んだ僕は
さっきまでの仕事の疲れもすっかり忘れ
朝が来るまで二人で語り合ったんだ。





posted by Morii at 19:17| 日記

2012年11月26日

バイオグラフィーBLOG 63

無理をしない、背伸びをしない。
大きく見せない、プライドを持たない。

ただ、
今出来ることを精一杯

それを相言葉に
僕の新しい一歩は始まった。

“働こう”

まさにリスタート。

ゼロからのスタートを始めた僕は
手っ取り早く求人募集の紙を頼りに
居酒屋でバイトを始めたんだ。

3人の高校生を先輩に
4人のチームでオーダー係りを
任された僕は

仕事の仕方をいちいち先輩高校生に
聞きながら、一歩一歩前に進んで行った。

人生のリスタートを切って
初めてのバイトだからって訳ではないけど
この時の扱いの悪さは今でも忘れられない。

分からないから聞くしかない僕にとって
高校生だろうと何だろうと先輩は先輩。

ただイチイチ聞いてくんなよ!的な
高圧的な態度を取られると
こちらとしては非常に困る。

高校生相手にヘラヘラと
教えを乞う僕に

年上なんだから自分で考えろよ!
いい年して何やってんだよ!
情けねぇーヤツだなぁ〜

的な、態度を取られ

悔しいやら
腹が立つやら
情けないやらで

時々、キレそうにもなったけど
よくやく人生のリスタートを切ったのに
いきなり喧嘩してクビだなんて
どんなけ迷惑かければ気が済むんだ!?

と思い直し

これも身から出た錆。
全て自分が撒いた種なんだと思い
笑顔でグッとこらながら

あの〜
サワーの作り方の分量って
いくつでしたっけ〜
すんませ〜ん!覚えが悪くて〜

と、笑顔で教えを乞う僕は

ホント、使えねぇ〜ヤツだなぁ〜
的な扱いにもめげることなく
人生のリスタートを切ったんだ。

腹の立つこと。
思い通りに行かないことに
出会うごとに

身から出たサビサビ〜♪
自分で撒いた種種〜♪

と乗り越えて行ったんだ。

でも良く考えたら
僕が周りのみんなに与えた迷惑は
こんなものじゃなかったハズだ。

だからこんな小っちゃなことで
腹を立ててること自体、
ナンセンスなことに気づいた僕は、

むしろ高圧的な態度を取られるごとに
有難く感じられる様になって行った。

そんな日々が数か月続いたある日の夜
3人組の高校生の内の一人がそっと僕に近づき

生意気で偉そうな態度を取って
すみませんでした。

と、謝って来た。

予期せぬいきなりのことに
驚いた僕は、

急にどうしたの?

と、よくよく話を聞いてみると

俺が逆の立場だったら、年下のヤツに
こんな態度を取られたらすぐにキレるか
仕事をやめているに違いないと思うのに
あなたのいつも笑顔で元気で、
前向きな態度を見ていたら、何だか
自分が情けなく思えて来て・・・

と、謝って来たんだ。

いやいや、仕事を教えてもらっているのは
こっちの方だし、年齢は関係ないし、
別に謝る必要はないと思うけど・・・

そんなことがあってから
その高校生とは仲良くなり
優しく仕事を教えてもらえる様になったことで
僕の仕事はドンドンはかどって行った。

どんなに仕事を教えてもらっても
そこに愛情や人間関係がないと
仕事は上達しないことを僕は身を持って知ったんだ。

へい!生中4つ!
お待たせしましたっ!!

いつもの様に
威勢よく座敷にオーダーを
運んで行った僕に
運命的な出会いが待っていたんだ。

おー!!!
久しぶりー!!!!

この出会いが後の僕の人生を
よりエキサイティングなものに変え様とは
この時はまだ、知るすべもなかったんだ。





posted by Morii at 17:01| 日記

2012年11月05日

バイオグラフィーBLOG 62

「身の丈を知る」

真っ赤なフェラーリーが教えてくれた
この言葉の意味を身を持って体感することで

大切なのは

背伸びしてまで無理をすることじゃなく
今の自分らしくいることが一番なんだと
思える様になったんだ。

良い時は良いし
悪い時は悪い

今現状の自分の置かれた状況を
もっと素直に受け入れることが大事。

どんなにこうしたいっ!!
どんなにこうなって欲しいっ!!

と願ってところで
思う様になる訳じゃない。

だったら自分が合わせちゃえば
いいんじゃない!?

今、目の前の状況を素直に受け入れることで
次第に「良い悪い」という評価がなくなって
来るのがわかった。

大切なのは

自分で自分を「良い悪い」という
わずか2つの中からたった1つの評価をすることではなく
そこから何を学び、次にどう活かすことが出来るかなんだ。

身の丈を知ること。
それは、今の自分を知ることとで
それは自分の愚かさを知ることなんだ。

愚かさを知る・・

つまり、自分の失敗を素直に認めること。

自分の失敗を素直に認めることは
難しいことかも知れない。

ただ、真っ赤なフェラーリーを目の当たりに
認めざるを得ない自分がいたんだ。

失敗を認めることは
勇気がいることかも知れない。

でも失敗を素直に認め
愚かさを素直に認めることで
勇気を持って挑戦した自分自身をも
認めることが出来たんだ。

大切なのは「身の丈を知ること」。

それは今の自分に正直でいること。

それは決して恥ずかしいことなんかじゃない。
無理して背伸びして周りに迷惑をかけること
それが本当に恥ずかしいことなんだと僕は思った。

今の僕にとっては
超高級車に乗って過ごす時間よりも
歩いたり自転車に乗って移動している
時間の方がよっぽど快適だった。

あれ程カッコ良く思えたフェラーリーを
それ程カッコ良く思えなかった自分自身に
ほんの少しだけど成長を感じることが出来たんだ。






posted by Morii at 07:04| 日記

2012年10月15日

バイオグラフィーBLOG 61

何もかも失い、読書づけの毎日の僕の耳に
ある知人がフェラーリーを購入したとの情報が入った。

ふぇ・・・フェラーリー!?

フェラーリーと言えば夢のまた夢。
一生かかっても手に届かないであろう
イタリアが生んだ憧れの超高級車。

そんな高級車を手に入れるヤツが
こんな近くにいるなんて!?と

その噂を確かめるべく
僕は母親のママチャリを借り
即行で駆けつけたんだ。

ママチャリとフェラーリーなんて
えらい違いやな!!
なんて一人で突っ込みながら

息を切らして到着した僕は
開口一番

フェラーリーを買ったって
聞いたんだけど・・・ホント!?

ああ。見てみるか?

と、突然の訪問にも関わらず
快くガレージに案内してくれた彼の
真っ赤に塗られたイタリアンレッドの
その優雅なボディーが余りにもまぶし過ぎて
開いた口がふさがらなかったことを今も覚えている。

当時、コルベットを改造した
レプリカモデルが流行っていた時代、思わず

本物か?

と、疑いたくなるほどだった。

考えてみれば、10代の頃、僕たちが
給料の大半をつぎ込み車高を低くしたり、
タイヤを太くしたりと懸命に改造していたのは、
確かに目立ちたいって気持ちもあったけど
少しでもあのフェラーリーに近づけたかったからに他ならない。

その本物のフェラーリーが目の前に・・・

レプリカでもなく、ましてや
国産のシャコタンでもなく
本物のフェラーリーが目の前に。

良かったら乗ってみるか?

という思ってもみない超有難いお誘いを
断る理由もなく、僕は遠慮なく即行で
助手席にもぐり込ませてもらうことに。

生まれて初めて座る
フェラーリーの座席。

そのあまりにも低過ぎる車高に、思わず

ひ、低っー!!

さすがにここまで低くて狭い車内だと
ホント走る以外何も出来ないな・・・なんて(苦笑)
そんな現実的なことを思いながら

車内での会話も困難なほどの爆音を轟かせ、
車なのかバイクなのか分からない大迫力のエキゾーストを
体中にビンビンと感じながらジェットコースターの様な
スタートダッシュに

これがあの夢にまで見たフェラーリーなのか!?

と、しみじみと実感させてもらった。

運転してみるか?

と言うせっかくのお誘いを

いやいや、ぶつけたらシャレになりませんから、と
丁寧にお断りすると同時に、ふと、過去の自分を思い出し

この時ほど「身の丈を知る」という言葉を
思い知ったことはなかった。

確かにフェラーリーは
すごい車かも知れない。

だけど、いくら車がすごくても
ドライバーである本人もそれと同じだけ
スゴイのかと言えば、それとこれとは別問題。

長淵剛主演のドラマ「とんぼ」が大ブレイクしていたあの頃
シルバーのメルセデスは、若干20代の僕の評価を大きく変えた。

でもそれは明らかに僕の評価ではなく
あくまでメルセデスという高級車への評価に過ぎない。

他人は騙せても
自分で自分を騙すことなんて
誰にも出来ない。

たとえどれだけ車が変わっても
あくまで変わったのは乗っていた車であって
運転技術も含め、僕の中身は何一つ変わってなんていなかった。

当たり前の話だけど、車種と人格が
必ずしも比例している訳じゃないということを
僕は身を持って証明したんだ。

僕自身がそうだったから言える。

高級車に乗っている全ての人が必ず高級ではないし
名車に乗っている全ての人が名人って訳でもないって。

中身の伴っていない高級志向は
いつか身を滅ぼす道具でしかないぞ!

人生で大切なのは、
いかに高級を手にするかなんかじゃなく
いかに高級が似合う様になれるかなんだ!

真っ赤なフェラーリーが優しく
僕にそう語りかけてくれている気がしたんだ。

深々と礼を言って帰る
その帰り道

太ももの筋肉を力いっぱい使い
風を切り全速力で走るママチャリに
何とも言えない心地良さを感じながら

「身の丈を知る」

この時ほど、この言葉が
身に染みたことはなかった僕だった。


















posted by Morii at 16:54| 日記

2012年10月04日

バイオグラフィーBLOG 60

わかり易い形で多くの物を失った僕は
そのお蔭で手に出来た多くのモノに気づくことが出来た。

と、同時に

わかり易い形で多くの物を手にしていた僕は
わかりにくい形で多くのモノを失っていたのかも
知れないことに気が付くことが出来た。

コーラを手に入れるには100円を失い
100円を失うことで喉の渇きを潤す快感を
手に入れているんだ。

何かを手にすることは
何かを失うことであり

何かを失うことは
何かを手に出来ること。

これが「絶対の法則」

100%手にするだけのこともなければ
100%失うだけのことだってないハズ。

大切なのは、手に入れた裏に隠れている
失ったモノに気づき

失ったことの裏に隠れている
手に入れたモノに気づくことなんだ。

昔から失敗は成功のもとって
言うぐらいなんだから

100%の失敗なんてこの世に存在しない。
いつだって失敗は50%止まりなんだ。

ただ懸命に探したけど
「莫大な時間」以外に中々見つからない。(汗)

そんなことはないハズっ!!

さらにさらに懸命に探すことで
僕は見つけたんだ。

元気で健康な体、そして感性豊かな心
誰にも負けない情熱と、好奇心旺盛なやる気のスイッチ☆

本を読み理解する理解力
文字を書く力、イラストや似顔絵を描く力

好き嫌いなく何でも美味しく食べれる味覚。

何よりも誰とでも一瞬で打ち解けられる
コミュニケーション力!

あるじゃん!!

それまで外に外に探してばかりいたけど
もっと内に内にってベクトルで探してみることで
それまで意識していなかった自分の能力に
目を向けることが出来た僕は

一層、自分で自分が好きになった。

失敗とは上手く行かなかった出来事のことであり
失敗者とは、そこから何も学ばない者のことなんだ。

つまり、僕は失敗はしたかも知れないけど
まだ失敗者と決まった訳じゃない!

そこから学び、気づき、今日というこの日を境に
素晴らしい未来を手に入れることが出来れば
それは失敗とはならない。

今という現在だけで全てを決めるなんて
冗談じゃない!!

今現在を作ったのは過去かも知れない。
でも未来を創るのは今なんだ!!

今はまだ失敗の仮契約に過ぎない。

誰も上げてくれないから
そうやって自分で自分のテンションを上げながら
僕は懸命に未来のへのエネルギーを蓄えていたんだ。

失った物だけに目を向けるのではなく
手に出来たモノだけに意識を向けることで。











posted by Morii at 06:58| 日記

2012年09月18日

バイオグラフィーBLOG 59

中学を卒業してから、ずっと離れていた
地元での暮らしがゆっくりだけど始まった。

正直、もう二度と母親の手料理を
食べることなんてないだろうと思っていただけに
母親の作る手料理に何とも言えない気持ちだった。

お蔭で三度の食事に悩むことはなくなったけど
改めて何もかもなくなったことに気が付く。

昔から「シンプル イズ ベスト」
なんて言うけれど

シンプル過ぎるのもどうかな?

と思える程に僕はシンプルだった。

あの頃の僕はホントに多くの物を失った。

でも失ったのは
誰の目にも見える「物」であり、

目では見えない大切な「モノ」まで
失うことはなかったんだ。

むしろ失った多くの物と引き換えに
手に出来たものだって少なくなかった。

その一つに「時間」。

当たり前かも知れないけど
1日は24時間で1年は365日ってことは
世界の誰にも共通する唯一の共通事項だ。

だけどそれまで朝から夜遅くまで
必死に働いていた僕にとって
1日は一瞬で、1年はあっと言う間だった。

でも今は1日が長い。
とてつもなく長く感じられる。

物理的に考えれば1日24時間ということは
変え様のない事実かも知れない。

でも何なんだ!?
この時間の流れる速度の違いは!?

やることが多過ぎた頃はドライブする時間もない程に
24時間はあっと言う間に過ぎ去って行った。

だけどやることがなさ過ぎると
1時間はこんなにも長く感じられるってことを
僕は知ったんだ。

息つく暇もない程、忙しい毎日に
今の今まで「時間」なんてものを
意識したことはなかったけど

改めて「時間」というものを
意識してみることで時間は感覚なんだと思った。

1分は60秒という事実は変えられない以上
一瞬に感じるのも、ゆったりと感じるのも
自分の感覚でしかない。

どんなに莫大な時間であっても
それを一瞬に感じてしまえば
それは「一瞬」の時間でしかない。

反面、たとえわずかな時間であったとしても
長く長く感じられればそれは「長い時間」と言える。

時間、それは自分自身の感覚なんだ。

「目に見える多くの物」&「忙しい毎日」と引き換えに
僕は目に見えない「時間」を手に入れたんだ。

ただ手に入れた時間を使わないと
それは退屈という苦痛に変わってしまうことを
身を持って体感した僕は

悩んだ挙句、その莫大な時間を「読書」と
交換することにしたんだ。

この時、初めて時間と交換するという
感覚を身につけた気がしたんだ。

読書なんて聞こえは良いけど、でも実際は
有り余る時間を使いこなすには読書でも
するしかなかったんだ。

どうせやることがないのだったら・・・
そんな気持ちで読み始めた一冊の本が、

二冊、三冊となって行き、
気が付けばたくさんの本と出会うこととなった。

後にも先にもこれ程まで集中して読書だけに
時間を使えたことはなく、この時期、膨大な量の
本を読むことが出来たのは人生においてホントラッキーだった。

また当時、本を買う余裕のなかった僕は
今ある本、借りる本、もらう本と、
お金をかけずに読むことが必須条件だったため

「自分の好み」や「先入観」が一切なく
手に出来た全ての本を読めたのも良かった。

だって事実、難しそう〜、つまらなそう〜
興味なさそう〜!!と思える本ほど良かったからね!

いかに自分の見る目がないかってことを
ここでも痛感させられたんだ。

そんな中で偶然、僕は運命の出会いを
果たすこととなったんだ。

それは司馬遼太郎氏の
「竜馬がゆく」との出会いだった。

以前から「龍馬」の名前は噂には聞いていたけど
どいつもこいつも坂本龍馬、坂本龍馬って
ホント、何やねん!!って感じだった。

だけど「竜馬がゆく」を読み続けて行く中で
僕は一気に龍馬フリークになって行った。

1巻の途中から夢中になり
2巻では一気にファンになり
ワクワクしながら一気に全8巻を読破。

日本の未来を考え、腐敗政治に立ち向かい
争いや武力ではなく知力と行動力を持って
新しい日本の突破口を築き上げたその勇敢な姿に

マジ、カッコイイぜえー!!!!
と胸が熱くなった。

いつか僕も龍馬みたいになりたい。
僕も龍馬みたいに熱く生きたい。

そう思えることで、くすぶっていたエネルギーが
僕の中で動き出して来たのがわかった。

時代は違うかも知れない。
でも何百年経っても変わらないことがあるんだ!

確かに時代の流れと共に変わらなくてはならないこともある。
でもどんなに時代が変わろうとも変えちゃいけないことがあるんだ!!

それは僕にとって生まれて初めて
「歴史」と出会えた瞬間だった。

「後ろは振り返らない」

そう思っていた僕にとって
中2で習った「歴史」の時間は
最高のリラックスタイムだった。

だけど、何故か西郷隆盛と坂本龍馬の
名前だけはよく覚えていたんだ。

よく分からないけど教科書に載るくらいなんだから
きっとすごい人なんだと思う。

でもそんなすごい人をわずか1ページで
紹介して終わっちゃうのって、どうなの??

〇〇の乱とか〇〇事件とかの紹介じゃなくてさぁ
もっとすごい隠された人生ドラマみたいなのって
ないのかなぁ〜

僕はそういったことが知りたいんだ。

学生時代、ずっとそう思っていた僕は、
こんな形で幕末の志士、坂本龍馬との出会いを
果たすこととなった。

過去を知ることが歴史じゃない。
過去を知ることで未来を読み解くことが
歴史だったんだ。

1冊の本が人生を変えることがある。
たった一人の生き様が、人一人の人生を
変えることだってあるんだ。

身を持ってそう体感した僕は

“いつか僕もそんな人になりたい”

そんなことを思いがら

有り余る莫大な時間を読書と交換することで
懸命に「退屈という名の苦痛」と戦っている僕だった。



posted by Morii at 09:10| 日記

2012年09月11日

バイオグラフィーBLOG 58

次々と湧き起って来る
いろんな感情と戦いながら、
この時、僕は感じたんだ。

もしかしたら本当のライバルは
自分の中にいる感情なんじゃないかって。

明日のことですら明日になってみないと
誰にも分からないハズなのに

「この先どうなるのだろう??」なんて
数年先の未来を思うたびに何とも言えない
「不安」が込み上げて来る。

そして何の問題も何のトラブルも
なさそうな人たちと比べるたびに

自分は何やってんだ!?と
焦ってしまう。

僕を苦しめているのは
他の誰でもなく、僕が生み出した
僕の感情なのかも知れない。

自分の思いとセットかのごとく
湧き起って来る感情は、ネガティブな思いに
比例してマイナスな感情を作り出していた。

そんな「焦り」や「不安」を感じることで
確かに精神的にはちょっと弱気だったけど

でも不思議と「怒り」だけは
湧き上がらなかったのが、せめてもの救いだった。

いや、正確には

怒りたくても怒れないって言うのが
ホントのところだったかも知れない。

だって失敗したのは
全て自分のせいなんだから。

誰が悪い訳じゃない。

友人、家族、お客さん。
僕の身の回りにいる全ての人は
本当に僕の成功を心から応援してくれていたんだ。

それなのに自分の未熟さやミステイクを棚に上げて
誰かのせいになんて出来る訳がなかった。

なぜ上手くいかなかったんだ?
どうして失敗したんだ?

そんな「怒り」は、これっぽっちも
湧き起ることはなく、

ただただ、申し訳ないって
気持ちでいっぱいだった。

だって上手くいかなったのは
あまりにも自分が未熟だったからだし

失敗したのは、見事なまでに
失敗すべきレールに乗っていたからに
他ならない。

なぜあの時、助けてくれなかったんだ?
よくも騙しやがって!

なんて気持ちは全然なかった。

だって助けてくれなっかたのは
自分が助けを求めなかったからだし

騙されたのは、騙されていることにも
気づいていなかったからに他ならない。

どう考えても悪いのは
全部自分だった。

そう思うことで「怒り」が湧き起るどころか
情けない、申し訳ないって気持ちでいっぱいだった。

誰が悪い訳じゃない。

それどころか、みんな本当に
応援してくれていたんだ。

これだけ完璧なまでに周りのみんなから
応援してもらっていたという確かな状況証拠がある以上、

誰かのせい、何かのせいにすることなんて
到底、出来る訳がなかった。

言い訳すら出来なかった。

100%悪いのは自分。

そう思うことで怒りのベクトルは
物でもなく人でもなく自分自身に向かうのがわかった。

周りを責めるどころか、それでも温かく見守って
くれている周りのみんなに申し訳ないって気持ちでいることで、

なぜか不思議と、

悔しいとか、情けないとか、腹立たしいとか、
湧き上がって来るそんなネガティブな感情たちが
僕の中で次第に向上心に変わって行くのが分かったんだ。

それまで前向きな感情こそが向上心を作り出すものと
ばかり思っていた僕は、本当はネガティブな感情こそが
向上心を生み出すのかも知れないと思えた瞬間だった。

一見すると、害に思われるネガティブな感情たちも
そのエネルギーを自分自身にぶつけることで
向上心というエネルギーに変わることを僕は知った。

大切なのは、感情というエネルギーの質じゃなく
感情をぶつける方向なんだ!!

もしもあの時
「俺は悪くない!!」と自分以外の
誰かのせい、何かのせいにしていたら

きっとネガティブな感情に支配され、
暴力や暴言に走り、罪のないたくさんの人を傷つけ
次第にやる気をなくし、いい訳だらけの毎日に
なっていたかも知れない。

次々に湧き起るネガティブな感情たちを
次々と味方にして行くことで、ネガティブな自分を
嫌いになることはなかった。

でも、そう思わせてくれたのは
周りの温かい気持ちであり、そこから
生まれた感謝の気持ちなんだと思う。

このままじゃ、終われないって。

愛と感謝という気持ちが
あの頃の僕を救ってくれたと思う。

「愛と感謝」なんて、それまでキレイ事にしか
思えていなかったセリフだったけど
こんなにまで偉大なものなんだって僕は初めて知ったんだ。

時々目にするカレンダーに書かれたそんな言葉にも
関心が持てる様になったのも、このことがきっかけだったかも知れない。


振り返ると

言い訳も出来ず、悪いのは全部自分と
思えたのは、確かに感謝の気持ちもあったと思う。

だけど、本当に大事なこと、本当に肝心なことを
自分で決めていたのが良かったんだと思った。

もしも、本当に重要なことを誰かに相談したり
本当に肝心なことを誰かに任せたりしていたら

きっと、それを言い訳にしたり、もしかしたら
それをその人のせいにしていたかも知れない。

だから、本当に大事なことは
自分で決めることが大事なんだと思う。

誰かのせい、何かのせいにしたって
何も始まらないし、何も変わらない。

大切なのはミスを認め、
その怒りを自分自身にぶつけること。

物事の上手く行かない原因を
全て自分のせいにすることで

湧き起るネガティブな感情たちは
次第に前向きなエネルギーに変わって
くれることを僕は初めて知ったんだ。

posted by Morii at 09:43| 日記

2012年09月06日

バイオグラフィーBLOG 57

数年ぶりに生まれ故郷に戻った僕は
何の肩書もない、正しく正真正銘の
「一個人」になってしまった。

豪華客船からモーターボート。
モーターボートから浮き輪。

その浮き輪ですら穴が開いてしまい
フニャフニャに空気が抜けてしまった
そんな気持ちに

心にポカンと穴の開いた様な感覚と
何とも言えない不安と焦燥にかられ

これからどうなるのだろう・・・

そんな気持ちでいっぱいだった。

時々、ネガティブな感情に
支配されそうにもなったけど

ただ一つだけハッキリと思えたことは
「人生はわかならない」ということ。

だって

“今というこの現実” を

半年前、一年前の自分が
果たしてどれだけ想像出来ていただろうか?

答えはノンだ。

事実、半年前の自分がそうだった様に
今から半年後、一年後の未来が
どうなっているのかなんてわかる訳がない。

もちろん今では想像もつかないほどに
超最悪な現実が待っているかも知れないけど

でも、もしかしたら想像もつかないほどに
エキサイティングでファンタスティックな毎日が
待っているかも知れない訳で、それは誰にもわからない。

たとえ世界的に有名な超エリート科学者でも
それはわからない。

そんな超エリートでもわからない僕の明日が
超未熟者の僕ごときにわかる訳がない。

僕の明日は明日になってみないと
誰にもわからない。

まだ誰にもわからない僕の明日を
勝手に自分でつまらないものだと決めつけて
しまうことだけは、何としても避けよう。

大切なのは、明日の運勢を予想することじゃなく
来る明日のために、今何をすべきかを考え、どう動くかなんだ。
それが明日を創るんだ。

答えの出ない問いに、莫大な精神的エネルギーと
貴重な時間を使うよりも、

答えの出せる問いに
エネルギーと時間を使うことに
僕は必死だった。

確かに現状を考えると僕の明日が
いきなり素晴らしいものになる確率は低いかも知れない。

でもそれはあくまで低いという確率の問題であって
まだ100パー決まった訳じゃない。

まだ確定もしていない明日を
100%決定させてしまうなんて
ナンセンス以外の何物でもない。

100歩譲って、

仮に明日はパッとしなかったとしても
明後日までパッとしないと決まった訳じゃない。

だからアレコレ思うのはやめよう。

そうは思ってみても
でも何なんだ!?

僕の中で湧き起って来る
このネガティブな感情は!?

答えの出せない問いに向き合う度に不安が
そして自分以外の誰かと比べるたびに焦りが襲って来る。

次々に襲って来るそんなネガティブな感情たちに
いちいち付き合っていたらキリがない。

今、出来ること。

ただ、そこだけに意識を集中させることで
ネガティブな感情との交信を一切断ち切ることに
僕は必死だった。

ダメだと思う自分がダメな明日を創るんだ。

現状は明日を作らない。
明日を作るのはいつだって今の自分なんだ。

今出来ることを精一杯。

それだけに意識を集中させる僕は

年間事業計画どころじゃなく、ただただ
明日のために今日を生き抜いていたんだ。

posted by Morii at 16:41| 日記

2012年09月04日

バイオグラフィーBLOG 56

それまで評価の対象にすらならなかった僕は
大きな出来事に遭遇したことをきっかけに
良くも悪くも常に評価をされる対象となってしまった。

人の評価とは、あくまでその人自身ではなく、
その人の行動に対してされるものなんだって
ことを知った。

どの様な人なのか?
ではなく

どの様な行動を取った人なのか?
それが評価なんだ。

もちろん僕の評価は言うまでもなく
褒められるものではなかった。

ただ世の中には
大きな失敗をしたからこそ
悪い評価を下す人と

大きな失敗をしたにも関わらず
悪い評価だけを下さない人との
2パターンの人がいることを僕は知った。

それは何が違うのか?
と考えたところ

「結果」のみで評価しているか
「プロセス」を評価してくれているかってことだった。

今の僕にとって
目の前の最悪の結果だけを評価されれば
ホント救い様がない。

だけど、それまでのプロセスや
これからの未来を期待さえしてくれれば
けっして悪い評価だけにはならない。

だから、あの頃の僕にとって、
プロセスや未来を見てくれる人だけが救いだった。

確かに、今という「現在」は
何より重要かも知れない。

でもそれと同じ様に「過去」という
これまでのプロセスも

そして、これからという「未来」にも、
今現在と同じだけの重要な要素がぎっしりと
つまっているんだ。

だって過去も現在も未来だって
全てが一本の線でつながっているのだから。

だから今という現在を否定するってことは
過去も未来も全て否定するってことになる訳で

それは「僕」という存在自体全てを
否定されてしまうことにつながってしまう。

だからこそ、今、この危機的状況にも関わらず
けっして今だけで評価せず、プロセスを重視して
評価をしてくれる人は神様の様に有難かった。

自分自身がその様な評価の対象となってみて
初めて人の視点というものがわかった気がする。

今だけを見ている人なのか。
目に映るものだけを見ている人なのか。
自分という物差しを基準に計る人なのか。
思ったこと言いたいことをズバズバっと言う人なのか。
グッとこらえて笑顔で多くを語らない人なのか。

そもそも人を評価する人なのか
そうでない人なのかが良くわかった。

行動だけを見ている人ほど
〇かバツという評価をする傾向が強く

僕自身を、よ〜く見てくれている人ほど
評価ではなく認めてくれている気がしたんだ。

行動だけでなく面白さ、やる気、情熱、元気
そんなことを見てくれることが「認める」ってこと
なんだと思った。

行動だけを見ているのか?
それとも「僕自身」と見てくれているのか?

それが良くわかったんだ。

これまでの過去、今何を思い、何を考え
そしてこれからどう進むのか?

その全てを見てくれるからこそ
評価だけで終わることがないんだって僕は思えた。

評価ではなく、「認める」

あの頃の僕にとって
未来へのエネルギーだった。

言いたいこともあっただろうし
腹の立つこともあったと思う。

だけど多くを語らず

そうなろうとして
こうなった訳じゃないんだろう?
頑張ろうと思った結果、
こうなってしまったんだろう。

と、怒ることもなく素直に許してくれた母親に
初めて「愛」というものを僕は感じた。

昔から浜田省吾や尾崎豊の大ファンだった僕は
歌詞にもたびたび出て来る「愛」という言葉に

誰かを好きになること、
人を大切にすること・・・

そして何かを与えることが「愛」なんだと
すっと思っていた。

そんな僕にとって許してあげることが
「愛」なんだって初めて感じた瞬間だった。

振り返ると、ミスを犯すたびに許してもらい
その度に、何とも言えない気持ちになっていた
ことを僕は思い出した。

そうかぁ・・
あれが「愛」だったのか・・・

今の今まで誰かを好きになることが
愛だと思って来た僕にとって

「許す」ことが愛なのかも知れないと感じられたことは
何物にも代えがたい発見だった。

大きな失敗と多大な迷惑を代償に
「愛」という感情を感じられた瞬間
不思議と感謝の気持ちが湧いて来た。

それまで「ありがとう」が感謝だと
思っていたけど、そうじゃないんだ。
そうじゃなかったんだ。

僕は知らないだけで
きっと僕の知らないところでものすごく
大変な思いをして苦労してくれていたんだと思う。
だからすごく嬉しいんだけど、だけど、そんなことなんて
これっぽちも考えることなく、ただ自分が成功することだけを
考えていた自分が、恥ずかしいって言うか、情けないっていうか、

ものすごく申し訳ないって言うか・・・

言葉では上手く言えないけど
「ありがとう」なんて言葉は出て来なかった。

心から申し訳ないと謝りたい気持ちと
だけどそれでも許してくれる優しさに
心から嬉しく感じる気持ち・・・

それが感謝の気持ちなんだと僕は思った。

本に書いてあった「愛と感謝」って言葉が
ホントなんだって思った。

愛を感じた時、感謝の気落ちが湧き起るんだ。

24時間テレビで愛は地球を救うなんて
フレーズをよく見ていたけど
それは「許す」ことが世界を救ってことのか!?

許されることで精一杯だった僕は
誰かを許す余裕もなく、ただただ
愛と感謝でいっぱいだった。






posted by Morii at 07:03| 日記