2009年12月24日

小5 わんぱくサッカー少年

2つ上の兄の影響で
始めたサッカー。

サッカーは今でも一番好きなスポーツであり
後のボクの人生に多大な影響を与えたスポーツでもあります。

今の様にサッカーがまだJリーグといった
プロスポーツではなかった時代だったから

将来、プロを目指すという訳ではなく
純粋にサッカーを楽しんでいました。

サッカーを上手くなると言うよりは
みんなでスポーツをしていることが
楽しかったことを記憶しています。

初めはルールも分からず、サッカーというより
ただボールを追いかけている様な、そんな感じ
だったんじゃないかな。

それでも必死に練習を重ねて行くことで
少しずつ上達して行きました。

目立ちたがり屋のボクのポジションは
当時、小学生の間で爆発的に流行っていた

マンガ「キャプテン翼」の影響を受け
いつもFWを希望。

マンガだけでなく当時世界的名プレーヤーだった
アルゼンチン代表のマラドーナ選手の真似をして
股抜きなども必死で練習していました。

今から思えば
少年サッカーチームの監督なんて
無償のボランティア活動です。

貴重な家族や自分の時間を割いて
ボクたちの練習に付き合ってくれている訳ですから
当然ながら感謝しなければいけません。

なのに

精神年齢の低かった当時のボクは
感謝するどころか
監督がサッカー未経験であることをイイことに

へへん!
どんなもんだい!!


とばかりにマラドーナ気分で
股抜きの練習台に使っていた様な
失礼きわまりない子供でした。(苦笑)

当時はただサッカーに夢中でしたが
振り返ると、自分で選んだつもりのサッカーも
もともとは兄の影響であり、そしてポジションも
マンガの影響であり

チームメイトや監督やコーチたちの影響を
大きく受けて育っていたのかも知れません。

何もかも自分で決めている様に思えても
実は周りの多くの影響を受けて育って
いるんだってしみじみ思います。

そんなわんぱく少年ではありましたが
子供ながらに大人である監督やコーチが
いてくれているからボクたちはサッカーが
出来ているんだって気持ちだけはありました。

だから感謝の気持ちを言葉にしなきゃって
気持ちはずっとあったけど

恥ずかしさが手伝ってか、なかなか口に出来ず
それが心苦しかったことを今でも覚えています。

物まねや一発ギャグは出来ても

でも結局、最後まで感謝の気持ちを
口にすることはありませんでした。

卒業後、コーチと会うことは今まで1度もなく
卒業前に1回だけ味噌ラーメンをご馳走して
もらったことが今でも忘れられない思い出です。

「ありがとう」という感謝の言葉。

サッカー大好き少年だった
当時のボクにとって

何も言わずに卒業してしまったことは
あの頃、「一番の後悔」だったかも知れない。

だけど、心苦しいあの時の後悔は
強いインパクトとなって

今でも忘れることなく
ボクの記憶に残っています。

大切なのは後悔しないことじゃなく
「後悔した気持ちを忘れないこと」
なんだと自分に言い聞かせることで

二度と同じ後悔だけは
したくないと思いました。

言わずに後悔するよりも
言って後悔しよう!!


サッカーよりも、もっと大切な何かを学んだ気がした
わんぱくサッカー時代のお話でした。

posted by Morii at 19:53| Comment(0) | 日記

2009年12月21日

小4 ボクの初恋

僕は森井くんがイイと思います!
私も森井くんがイイと思います!!

マジでぇ〜(困)

という、そんなボクの気持ちに関係なく
選ばれてしまった生徒会会長への立候補。

当時、生徒会の意味もよく分かっていないのに
「性格が面白い」というだけで
会長に立候補させられる羽目に。

初めは立候補なんて嫌だなぁ〜
なんて思っていましたが

ある1つの事件が
ボクの行動を大きく変えて行きました。


それまで男子・女子という概念が
一切なかったボクにとって

その瞬間はあまりにも
衝撃的だったことを強く記憶している。

今まで何とも思っていなかったのに、ある日
となりの席に座っていた子の横顔を見た瞬間

ボクのハートがいきなり
激しく鼓動した。

な、何なんだ!?
この気持ちは??


なぜか急に恥ずかしくなったかと思えば
嬉しくなり、胸の鼓動が早くなったのを
今でも覚えています。

も、もしかして

・・・こ、これが
「好き」っていう気持ちなのか!?


その瞬間は、何の予告もなく
あまりにも突然起きた。

忘れもしない小学4年。

これが
ボクの初恋の瞬間です。

私、面白い人が好き!

運動・勉強など、これといって自信のない
ボクにとって、「笑わせる」ことは
願ってもない専門分野。

運動でも勉強でもなく「面白い」を
選んでくれた彼女は正に女神!

どうせなら最大級の笑いを取って
彼女にアピールしちゃえば!!
とばかりに

初めは嫌だった会長立候補は
いつしか彼女を笑わすことだけを目的とした
「愛のステージ」へと変わって行きました。

選挙当日。

親友だった推薦者のEくんと
直前まで入念な打ち合わせをしての壇上。

当時、ボクの中で最高のボケをかまし
体育館中を爆笑の渦に巻き込んだ快感は
今でもリアル。

先生をも巻き込み、会場全体が
「笑」で一つになった瞬間は鳥肌もので

あ〜 やっぱ
ボケて良かったぁ〜

としみじみ思いました。

もちろん
たくさんの人前で話をするのは
初めての経験だったから

恐くて、恥ずかしかったし

後で先生に怒られないかな?
なんて心配でしたが
(実際、後でこってり絞られましたが・・苦笑)

「あの子を笑わせるんだ!」
という明確な目標を持てたことが
大きなパワーに繋がった気がします。

「生徒会長になる」
という自分にとって不本意な目的でなく

自分にとって明確な目的を持つことが大切であり
それが自分の中での大きな勝利に繋がった気がしました。

もちろん選挙は落選でしたが。(笑)

嬉しい、楽しい、面白いという
100%ポジティブな感情でもなく

かと言って

恐い、寂しい、悲しいといった
100%ネガティブな感情でもない

言わばポジティブとネガティブを
足して2で割った、そんな「初恋」に

何か悪いことをしている様な戸惑いと
だけど無性に楽しくてワクワク元気になる様な
そんな気持ちになったことを今でも覚えています。

嬉しくて恥ずかしくて、そして大爆笑な
こればボクの初恋です。




posted by Morii at 18:52| Comment(0) | 日記

2009年12月18日

6歳 はじめての万引き

はじめてのお使い
という番組をご存知でしょうか?

小さな子供達が一生懸命になって
お使いに行く番組です。

泣きそうになりながらも、必死にお使いをする姿が
いじらしくもあり、微笑ましく大好きな番組の一つであります。

「はじめてのお使い」
という記憶はありませんが

「はじめての万引き」なら
今でも鮮明に覚えております。


“万引き”って知ってる?

まんびきぃ??

6歳のボクにとって
生まれて初めて耳にした
「万引き」という言葉。

聞きなれないその言葉の響きに
子供ながらワクワクする好奇心を
覚えたことを今でも覚えています。

まんびきって何なの??

いーか。
誰にも言うなよ。

「万引き」って言うのはな
お店のおばさんにバレない様に
お菓子を盗むことなんだ。

ぬ、盗むの??
それってイケないことじゃないの?


バレなければ大丈夫だって。

そんなシンプルで安易な友達の説明に

そ〜なんだ
バレなければ大丈夫なんだ。


と、子供なりに解釈したことを
今でも覚えております。

いいか、ボクが合図をしたら
ポケットにアメを入れろ!

ヨシっ 今だ!

いくら綿密な作戦を立てたところで
所詮は子供のしわざ。(苦笑)

いとも簡単に見つかり、その後
母親と一緒に誤りに行く羽目に。

ど〜なるんだろう〜

と、ちょっぴり不安になりながら
母親に手を引かれるまま、いざ駄菓子屋へ。

店に着くなり恥ずかしそ〜に
誤る母親とは裏腹に

子供のいたずらですので
気になさらないで下さいね。


そう言って笑って許してくれる
優しそうなおばさんの笑顔が
今でも忘れられません。

そんなお店のおばさんに遠慮してか
お菓子をたくさん買ってくれる母親。

!!!

スーパーの買い物でいくら駄々をこねても
なかなかお菓子を買ってくれないのに

いきなりたくさんのお菓子を
買ってくれる母親の意外な行動に

そうか!

「まんびき」をすれば
おばさんは笑顔になるし
お菓子をいっぱい買ってもらえるんだ!!


素直にそう解釈をした6歳のボクは
何の疑いもなく翌日も万引きをしに駄菓子屋へGO!

・・・・・・

2度目はこってり絞られたことは
書くまでもありません・・・

(苦笑)


はじめての万引きは
「バレなければ大丈夫」という
友達の言葉を素直に信じての行動。

そして2度目の万引きは
おばさんも喜び、後でお菓子をたくさん
買ってもらえるんだと思っての行動だっただけに

昨日はとても優しかったおばさんの
「突然のお説教」にはとても驚きましたが

そうやって怒られながらも
善悪の区別をつけて行くのが
教育なんだって思います。

信じることと怒られることを
同時に学んだ、初めての万引きでした。













posted by Morii at 13:00| Comment(0) | 日記

2009年12月17日

5歳 ケーキとクマと交通事故

幼少期の忘れられない思い出No1は
何と言っても交通事故でしょう。

交通事故なんて言っても
所詮は5歳。

体験談ではなく

「5歳の時に交通事故にあったんだよ」
という

母親に聞かされた事実だけを覚えている
と思われるかも知れませんが

信じられないことに
自動車に跳ねられる直前の記憶を
今でも明確に覚えているのです。

いい、お母さんね、
すぐに戻るから
大人しく車の中で待っててね。

バタンっ!
と、ドアを閉め

5歳のボクを
たった一人、車中に残し
出て行ってしまった母親。


・・・・・・・・

お、おかぁちゃーーん(涙)!!!

取り残されたと勘違いしたボクは
急に寂しくなり、すぐさま母親の後を追いかけ
回りも気にせず道路に飛び出す。


その瞬間!

キキッー!!!!!


もの凄い車の急ブレーキ音と
タイヤのこげる臭いが・・・

と言うのは冗談で

交通事故における記憶は
車中に一人取り残されたことで
寂しさの余りに飛び出したここまで。

あとは一切残っておりません。

ただ何となく

跳ねられたことで
カブトムシと一緒に空を飛んでいた様な(笑)
そんな記憶がかすかに残っているだけであります。

跳ねられた瞬間の出来事や
痛み、恐さ、入院期間といった
それ以外の記憶は一切ないだけに

これまでずっと
大したことはなかったんだ
と思っていたのに

実は、当時、病院で
3日ほど記憶がなかったらしい・・・

というポロっと滑らせた
母親の言葉に

な、何それー!?

それって
めちゃめちゃヤバかったやん!?
と驚きを隠せないでいます。(苦笑)

打ち所が悪ければ今頃・・・

なんて考えれば生つばゴクって感じすが

まぁ今現在元気な訳だから、今さら
そんなことを考えても仕方ありません。(笑)

でもそれだけの事故なら
慰謝料とか相当もらえたの??

なんて、今になって
ちょっと大人の質問をしてみたら

なんと
ケーキとクマのぬいぐるみ
だったそうです・・・・


俺の体、
めっちゃ安っーー!!!
(涙)


小学生のお誕生日会かっ!?

と、突っ込みたくなる様な
今なら絶対にあり得ない展開に

のどかだった時代背景と、つくずく
人の良過ぎる両親なんだって思う。
(苦笑)

いずれにしても
それだけの事故に合いながらも
何の後遺症もなく
日々、元気に過ごせていることに

無敵を証明するには十分過ぎるほど
大きな自信を与えてくれた交通事故。

何より
交通事故に合ったという記憶ではなく

母親が出て行ったことが
無性に寂しかった

という記憶しか残っていないボクにとっては

自分の身長よりも大きな
フワフワのクマのぬいぐるみは
あの頃、ボクの1番の宝物でした。☆










posted by Morii at 15:15| Comment(0) | 日記

2009年12月15日

3歳 ムカデショックの一日

脳科学的には
人は3歳までの記憶はほとんど
残っていないそうであります。

確かにそんな小さな頃の出来事なんて
いちいち覚えていないものであり
覚えたくても覚えられませんしね。

実際、懐かしい写真を見ても
その時の状況なんて
全然思い出せないものであります。

だけど今でも一つだけ
鮮明に忘れられないある記憶があります。


それは今から36年前の
ある日の出来事・・・・


痛っーーーい!!!!
う、うわぁーーーん!!!


家中に響き渡るほどの泣き声に
家族みんなが集まる、そんなシーンから
始まります。

どうした?どうした!?

かすり傷ひとつない元気な姿なのに
ひとり玄関で泣き叫ぶボクの姿に

????

何があったの?
どこが痛いの??

と聞く母親に
ただただ泣くばかり。

泣いてちゃ分からないでしょ。
ちゃんと口があるんでしょ。


という母親のセリフに

(内心)
ムリムリっ!!
3歳の今のボクの表現能力では
この状況は説明できましぇん!!(涙)


もしかして
この口はお飾りかなぁ〜?


と、おどけてみせる母親に

(内心)
ムリムリっ!!
いくら3歳のボクでも
この状況では笑えましぇん!!(涙)


あまりの痛さと
何が起こったのかも分からない
パニック状態の中

必死に人差し指を足元に向けるボク。

足??
足が痛いの?

と、おもむろに履いていた青い長靴を脱がすと
何と長靴の中から大きなムカデが・・・

ギャー!!!
と、少し前の冷静さはどこえやらで大騒ぎの母親。

運悪く・・・
って言うか

長靴の中にムカデなんて
絶対にあり得ない不運。

3歳 青い長靴 ムカデ

これが僕の人生における
思い出せる限り最年少の記憶であり
かつ僕の人生における記憶の原点。

あれから36年という歳月が流れたにも関わらず
その時の出来事や、その時のセリフ、その時の感情が
今でも鮮明に僕の記憶に残っているのは
きっと強いインパクトが成せる技なんだと思う。

正直、この記憶はいつまで
残っているのだろう?


なんて思う時もありますが

39歳になった今ですら、これほど
鮮明に残っている訳ですから

記憶喪失にでもならない限り
これからもずっと忘れることはない様な
そんな気がしています。

人は忘れる生き物。

何十年と生きて来た中で感じた
楽しいことや寂しいこと。

そのほとんどのことを忘れてしまっている中で
36年前の記憶が今でも僕の中で鮮明に残っていることは
何事にも変えがたい喜びです。

もちろん
その前日や翌日の記憶は
全くと言って良いほど皆無。

痛くて、恐くて、パニックなった
”その瞬間だけ”の記憶ではありますが

「3歳までの記憶は残らない」
という
脳科学的な常識に負けることなく
今でも覚えていることが本当に嬉しい。

「大切なのは
結果ではなくプロセス」


これが僕の人生哲学。

でも本当はそのプロセスを忘れないことに
人生の大きな意味があるのではないかと思う。


今では忘れてしまった超楽しい出来事よりも
今でも覚えている辛い記憶の方が、断然、僕は好きだ。

いや正確には
今でも覚えている嬉しい記憶の方が
数倍、大好きだけどね。(笑)


















posted by Morii at 19:08| Comment(0) | 日記

2009年12月10日

ごあいさつ

新しく立ち上げました
新ブログです。

「男の人生は30」
を合言葉に

素晴らしき30代を過ごすことだけを
目標に頑張って来た30代。

そんな30代も、ついに
残すところあと2ヶ月となりました。

人生のターニングポイントなる
40を目前に控え、これまでの
ヒストリーを形にしてみては?と思い

この度
「院長のバイオグラフィーBLOG」
を立ち上げたいと思います。

パチパチ〜

ブログと言っても、これまで続けて来たM-logとは
また違ったスタイルのバイオブログとして新たに
更新して行きたい思っております。

振り返るとこの10年は、目まぐるしいほど
寝てもさめてもカイロプラクティック一色の
10年間だった、そんな気がします。

そんな天職とも思える
カイロプラクティックとの出会いは

今から思えば
幼少時や学生時代に経験した出来事から
20代に経験した様々な出来事の延長線上に
存在していた様に思えてなりません。

初めは「点」でしかなかったある出来事が
経験を重ねることで「線」として繋がって行き
いつしか「面」になって行った気が致します。

わんぱく幼少期から
ちょっとやんちゃな学生時代。

そして社会に揉まれながらの青年期を経て
カイロプラクティックと巡り合えるまでの軌跡を

元気を感じる中にも
何かのヒントを見つけ出してもらえる
そんなブログになれれば嬉しいな。

なんて思っておりますので
「M−log」同様、応援のほど
よろしくお願い致します♪

そんな昔の記憶がどれほど残っているのか?
どれほどの文章が更新出来るのか??
ちょっぴり不安ではありますが・・・

大切なのは
出来るか、出来ないか?
じゃなく


やるか、やらないか?
ですよね!!


どんなことでも
初めてみなければ絶対に分からないもの!

力まず肩の力を抜いて、まずは
出来るところまでやってみよう♪

実際、そうやって来て
今の自分がある訳ですしね。

現在と過去とをバックto The フューチャーしながら
自分自身でも気楽に楽しんで更新して行ければ嬉しいです。

壁にぶつかった時や
楽しみ方を忘れそうになった時に
元気を取り戻すきっかけを作り

不安になってしまった時には
勇気を取り戻せる様な

そんなブログを目指したいと思います。

まずは3歳。
「ムカデショックの一日」から
スタートしたいと思います。

ではでは
次回の更新をお楽しみに!
(^^)V 







posted by Morii at 19:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年12月02日

バイオグラフィー

0歳〜15歳



1970年1月22日早朝
三重県伊勢市に
森井家三男として元気に生まれる。

・5歳
交通事故を経験。
記憶にはないが3日程
意識がなかったらしい・・

・小学1年生
友達に誘われるまま
生まれて初めての万引きを経験。

・小学3年生
サッカーをはじめる。
マンガ「キャプテン翼」の影響を受け
目立ちたい一心でFWを希望。

・小学4年生
初恋を経験。
クラスの人気者故に生徒会長に立候補させられる。
見事落選するも立候補演説で大爆笑を取る。
(しかし後で先生にこってり絞られる・・・トホホ)

・小学5年生
ある日の全校集会にて
「人が生きる中で何よりも挨拶が大切」
というPTA会長の講演に感動し、
カッコイイ大人になることを目標に、大人になったら
母校で講演することを将来の夢に決める。

・小学6年生
当時、少年誌に連載されていた
「キン☆タマイダー」というマンガに感銘。
友達とコンビを結成し「ムケ☆チンダー」
というマンガをクラスで発表!
6年E組で大ブレークとなるも
斬新すぎるネーミングゆえに女子には大不評。

幸運にも4〜6年生までの3年間を
福田先生という素晴らしい先生に担任してもらい
元気いっぱい小学校を卒業。

・中学1年生
万引きで補導された翌日
万引き防犯ポスターで見事入選。
全校生徒の前で表彰され胸が痛む。

・中学2年生
「男の人生は30で決まる」という友人の言葉に感銘。
以来30代を目標に流されない自分の人生を
歩むことを決意。

・中学3年生
春のクラス対抗陸上大会で
1500m代表に選ばれる。
2ヶ月前から密かにトレーニングを重ね
陸上部の強豪を跳ね除け誰もが予想外の
優勝を果たす。

15歳の誕生日にもらった尾崎豊の
カセットテープに強い影響を受け
夢と希望を持って中学を卒業。

高校進学か?それとも就職か?
で揺れながらも
与えられた2つ3つの選択肢から
選ぶことだけが全てではない!!と
進学でも就職でもない「働きながら勉強する」
というハイブリッドな道を選ぶ。

3月
「カッコイイ大人になること」を目指し
中学卒業を期に単身愛知に渡る。

出発当日の朝、誰にも告げなかったのに
50人以上という全く想定外のたくさんの見送りに思わず涙。
二度と人前で涙は見せないと心に誓う。

義務教育終了時までに交通事故1回、骨折1回、顔、腕、指
脇など全身に計36針の縫い傷を経験し無敵を証明!!




16歳〜30歳


・16歳
花の青春時代を3年間もの間、女子禁制の全寮制で過ごす。
超厳しい上下関係の毎日を過ごす中、挨拶やマナーなど
人としての基礎をこの時期に体で学ぶ。

入寮3ヶ月で不良グループに目をつけられ
集団リンチを受けるものの、逆に
「集団じゃなければ倒せない程、俺ってそんなにスゴイの!?」
と生まれて初めて自分の存在価値に気付く。

・17歳
マンガ「あいつとララバイ」を読んで
カワサキ750RSZUに憧れる。

・18歳
国内自動車トップメーカーに正社員入社。

・20歳
憧れの名車カワサキ750RS ZU購入。
購入後即、九州一人旅決行!!
寝袋だけの野宿旅に旅の素晴らしさを肌で感じる。

・21歳
大企業という安心感。
数万人の中の一人という自分に魅力を感じられずにいる中
「将来、俺の様になりたくないのか?」という
パッとしない上司のその一言に、迷うことなく退社を決意。

脱サラを決行!
生まれて初めての商売を経験。


・23歳
真っ赤なオープンカーとメルセデスオーナーになるものの
その後は見事に事業失敗。
全財産を失くし、逃げる様に泣く泣く地元に戻る。

いい知れぬ挫折感を味わうものの
失った多くのモノと引き換えに
「有り余る程の時間」と「超健康的な肉体」が
あることに気付く。

この時、有り余る時間を読書にあてることで
幸運にも坂本龍馬と出会う。
以来、大の龍馬フリークとして坂本龍馬を人生の師と仰ぐ。

・24歳
富士登山&川下りを決行!
自然の神秘をリアルに感じ
大自然にリスペクトする。

この時期、健康的な肉体を活かし
サッカーチームとロックバンドを作り
精力的にライブ活動を始める。

試合やライブを見に来てくれたことがきっかけで
カップルになる人が続出。
出会いの場を提供したことを感謝され、
感謝される素晴らしさに心から気付く。

25歳
「人生何でも経験」を合言葉に
1日3つのバイトを掛け持ち
3年間で約50種類の仕事を経験。
(この時、後のカイロプラクティックに
繋がる人生初のギックリ腰を経験する。)

26歳
将棋に出会うことで将棋の魅力に取り付かれる。
将来、子供が出来た時は将棋から名前をつけると決める。

・28歳 結婚。
幸運にも結婚式に恩師である福田先生に出席してもらう。 
久しぶりの再会に

「あなたは私の教師生活の中で
一番思い出に残っている生徒です。」

と言う嬉しい言葉を頂き
大切なのはそれが真実か否かではなく
「発する言葉」が全てなんだと学ぶ。

営業で全国月間トップを3回を取るも
特別ボーナスは全額「夜の繁華街」に貯金。

・29歳 
PM10:15。
小雨の伊勢道路で何と後輪がスピン!
回転しながらセンターラインを超えるという
アクシデントに遭遇するも
奇跡的に全くの無傷という急死に一生を得る。

「偶然」という言葉では絶対に説明がつかない
運命的な出来事に、神様に命を助けられたことに気付く。
生まれて初めて「世のため人のため」という言葉を知る。

長男誕生。

・30歳
長年、悩まされて来た腰痛がキッカケで
カイロプラクティックという天職と出会う。
その後の人生を世のため人のために働くことを決意。
給料だけのために働く人生に終止符を打つ。

二度目の脱サラを決行し、
いざカイロプラクティックの世界に飛び込む。



30歳〜現在


東京・大阪・岡山・奈良んど数々のスクールで
テクニックを学ぶものの、才能を開花させることなく過ごす。
そんな中、幸運にも現在でも師と仰ぐ
中濱秀彦D.C.(’97名門米国パーマー大学卒)と巡りあう。
理論・テクニック共に完成度の高い本物の
ガンステッドテクニックに感動。

その後、数年間に渡り、中濱スクール全過程修了。
翌年中濱スクールテクニックインストラクターに選出され
これまで延べ数百人の受講生に技術指導をする。

次男誕生を期に伊勢院を建設

カイロと美容を融合させた新しいスタイルを目指し
長年の下半身太りを解消させるという
独自に開発した骨盤ダイエットが大ブレーク

・2006年
中学や高校生のインターハイ出場選手を多数
矯正したことがきかっけで、朝日新聞から取材を受ける。

・同年6月
「絶対に売れますから、ぜひ書籍にして下さいよ!」

というK君の言葉を素直に信じ、妻の反対を押し切って
ブログを書籍化、「書籍M-log」を発売させる。
(しかし、K君は買ってくれなかった・・・)

明和町移転を考え、行くなら今しかない!と
アジア貧困地区を肌で感じる旅に出かける。
アンコールワットなどの世界遺産に感銘を受け、
将来、東南アジアにMORIIスクール開設を夢の仲間に入れる。

・2007年4月
三男誕生を期に明和院をOPENさせる。

2008年
長男の小学校入学を期に長年の夢であった
人生初のボランティアを開始。
朝のあいさつ運動と交通整理を始める。

・2009年 
MORIIスクールを開設

現在も、日々ボランティア活動を続けているものの
生徒たちに「まだお仕事見つからないの?」
と同情されている今日この頃である。






Chiropractic MORII 2007

posted by Morii at 12:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記