2010年02月27日

バイオグラフィーBLOG 17

237号室。

これが僕の一番最初に
与えられた部屋号だった。

ガチャ。

ドアを開けて部屋に入ると
見知らぬ人が・・・

(だ、誰??)

いきなり“名前は?”
と聞かれ

も、森井です・・
と言うと

目の前の勉強机を指差しながら
適当にその辺の机に座っていいよ。

とひと言。

「座っていいよ」って
あなたはいったい何者??

・・・っていうか
なぜ僕の部屋に居るんだ?

そんなことを思っていると
こんにちわ〜
と、また同じ様に学生服姿の人が入って来た。

(誰だお前は!?)

よく見ると机は3つあり
まさかなぁ〜 なんて思いながら
もしかして3人部屋??

一瞬、そんな不安がよぎった。

結果的には僕の予想は見事に外れ
先輩一人に1年生が3人という
4人部屋での共同タコ部屋生活が待っていた。

人一倍プライベートを大切にする超デリケートな僕は
てっきり一人部屋だと思っていただけに

いきなり相部屋って〜
しかも四人て〜っ!!

そりゃないよ!と
超ストレス。

そんな「237の」メンバーはというと
目つきのするどい恐そうな1コ上の先輩と
広島ヤンキーとアニメ大好き元祖オタク系。

そして僕の4人がそろった異色の構成。

自由になりたい!
ビックになりたい!!

そんなことだけを考えていた僕は
細かい生活のことなど
これっぽっちも考えていなかっただけに

4人部屋だなんて
そんなの聞いてないよぉ〜!!

と心の中で何度も繰り返していた。

(・・・来るんじゃなかった。)
やっぱあの時、引き返せば良かった。

そんな後悔をするたび
盛大に見送りをしてくれた
みんなの顔が浮んでは消えた。

40期で入寮した僕たち。
つまり40年もの歴史がある寮には

挨拶から始まり
服装、態度、髪型、起床時間から消灯時間まで
生活習慣全てにおけるありとあらゆることに対して

“それなりのルール”があり

“それなりの伝統”
が完全に出来上がっていた。

寮は全部で5階建ての建物が6棟もあり
各フロアは0号室〜9号室まであり〜ので
一部屋4人で計算すれば実に1000名オーバー。

しかも全て男!!

北は北海道〜南は沖縄まで
全国から集まった総勢400人もの1年生の内

半分ぐらいはガラが悪く
また先輩方におかれましても
8割方はガラが悪く

全体的に見れば
寮生全体のほぼ全体のガラが悪く

よく見ると寮の周りは鉄格子に囲まれ

(何で鉄格子なんだよ!?)

こ、ここは少年院かよ〜!!
と心の中で叫んだ。

(やっぱ来るんじゃなかった。)

何度も何度も後悔したけど
あの盛大な見送りが
「いきなり帰れないよ」と僕を奮い立たせた。

どんなに辛くても
1年は頑張ろうって。

いや、半年は頑張ろうって。

中学までの不良はあくまで
学校の中だけの話であって
家に戻れば生活パターンはそれぞれ。

だけど寮生活ともなると
食事・お風呂・トイレ・洗濯・電話・掃除などなど
全ての生活諸々が全員一緒なだけに、そうはいかない。

しかも、ほぼヤンキー集団。

1年だけでも400人近くいるメンバーで
毎日食事をしてお風呂に入る訳だから
8人兄弟や10人兄弟レベルの争いどころじゃない。

食事をするだけ、お風呂に入るだけでも
熾烈(しれつ)なバトルが日々繰り返された。

携帯電話がまだない時代。

女子禁制の男子寮での
コミュニケーション手段は
何といっても「公衆電話」

ほとんどのメンバーが地元じゃないだけに
みんな頼りになるのは地元の彼女だけ。

寮に10台しかない公衆電話を
1000名近い寮生全員で奪い合う訳だから
電話をするだけでもみんな必死。

そんな、ほぼヤンキーが密集した男だけの世界は
完全に力がモノをいう世界だった。

強いことこそが正義で
力こそが全ての弱肉強食の世界。

だからあちこちでちょっとした
いざこざが起こるのは日常茶飯事。

そんな弱肉強食の世界を1つに束ねるのが
「権力者」という存在だった。

説明しよう!

権力者とは
体が大きくてめっぽうケンカが強い。
人脈と包容力があり、しかも頭も良くて
さらに上にも下からにも受けがイイという

不良の中の不良。

平たく言えば
不良界の生徒会長みたいなもので
いわばミスター不良!

まさに
KING OF 不良。
を意味する存在。

各学年の中から一人だけ、「権力者」を選び出し
その権力者の出す指示のもと400人は動いた。

権力者の言うことはどんなことでも絶対で
権力者に逆らうことは絶対に許されないという

動物園でみられるボス猿を中心に全ての行動を取る
「猿山」と全く同じシステムを構築することで

1000名ものメンバーが上手く共同生活を送ることを
可能とさせていた。

各学年、権力者を中心に約10〜20人ほどのメンバーで
ピラミッド型の下部組織を作り

それぞれが、それぞれの役割を果たすことで
400人をまとめていた。

中でも1000名のトップに君臨する
3年生の権力者ともなると

僕たち1年生から見ればオーラというか
まるで「不良の後光」が差しているかのごとく
その存在感は圧倒的だった。

時々、仲間内で揉め事があっても、権力者の

もうその辺でやめとけって!!
と言うひと言で
丸く収めてしまう力はやっぱ凄かった。

「どちらも負けることのない争い」
終わらすことによって、互いの自尊心を守ってあげることや

滑ってこけたらどうするんだ!
風呂場でケンカなんかするんじゃねぇ!!

とみんなの安全を考えてあげるのも
権力者の立派な仕事だった。

だからみんなも
そんな権力者の命令じゃ仕方ないな。
と1つになっていた。

権力者のためなら
下級生はもちろんのこと
同期までもが力になろうと必死だった。

そんな圧倒的なパワーとカリスマで
みんなを束ねる権力者は本当にカッコ良かった。

入寮して2週間。

早速、1年生の中でも
「権力者選び」が始まり出し
僕の知らないところで熾烈な火花(バトル)が
繰り広げられ始めていた。

あの頃の僕は、毎晩、見ず知らずの人と
川の字になって寝かされる毎日に

かんべんしてよ。
川の字で寝るなんて
小学3年生以来やで〜


とストレスを感じながらも

今までとは180度変わってしまった
全く新しい生活習慣に一日でも早く慣れ様と

中学で築き上げたプライドも
過去の栄光も全て捨て去り
毎日を過ごすことに必死だった。

超平和主義者の僕が
そんなバイオレンスな世界に引きずり込まれて
いようなんてことは、この時まだ知る由もなく

あの頃僕は
ホームシックに耐えながら、ただただ
生活(生きること)に必死だった。


















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2010年02月25日

バイオグラフィーBLOG 16 15の独立記念日

電車が発車してからも
しばらく涙が止まらなかった。

(いつまでも泣いてちゃダメだ)

“早く涙を止めなきゃっ”
っていう僕の思いとは裏腹に
なぜか涙は止まってくれなかった。

次第に嬉しいとか寂しいといった
感情もなくなり

早く涙を止めなきゃ!!

という焦りだけが湧いて来るものの
それでも涙は止まってくれなかった。

気持ちの中では平常心なつもりでも
なぜか涙だけは止まることがなかった。

いったい
いつになったら
止まってくれるんだよー!!!


と、思ったその時

次は松阪〜
松阪で止まりまぁ〜すぅ


という車内アナウンス。

プシュー

と勢いよくドアが開いた瞬間
たくさんの乗客がどっと入り込んで来た。

我先に慌てて乗車しようとする
たくさんの乗客たちに

こんなトコに荷物を置いて
何やってんだよ!
邪魔なんだよ!


的な顔をされ
僕は吹っ飛ばされてしまった。

気がつけばガラガラだった
車内もいつの間にかいっぱいに。

そんな状況に
さすがにいつまでも泣いている訳にもいかず
お陰で涙が止まりホッとしたのもつかの間

車内でただ一人
学生服姿で抱えきれないほどの
花束を持っている自分の姿に気付き

超恥ずかし〜

と、急いで座席に戻った。

男は人前で涙を見せるもんじゃない。

父親からそんな教育を受けていた僕は
二度と人前では涙を見せないぞ!!
と心に誓った。

今さら引き返す訳にも行かないし
前を向いて行こう!!

座席に座り、気分を落ち着かせ様と
出発直前に友達から手渡された手紙に目を通した瞬間

またまた
号泣してしまった××


「二度と人前では涙を見せないぞ!!」
と心に誓ったわずか数分後の出来事。

ダメだ。
今は手紙はやめておこう。

よし、これが最後。
もう人前では泣かないぞ!
と再度、心に誓った。

取りあえず今は
過去は忘れて前だけを向いて行こう。

流れる景色を見ながら
必死に気持ちを切り替えた。

次は名古屋〜
次は最終の名古屋でぇ〜すぅ


という車内アナウンスが流れると共に
初めて降り立った名古屋の駅は、地元の駅とは
比べ物にならないほどの大きさに
強いカルチャーショックを受けたことが
今も忘れられない。

独特の街並みだなぁ〜

なんて思いながら
ここが地下であることを知らずに
地下街を歩きながら

地上に出たことで初めて
“今までは地下だった”
ってことに気付き
軽いショックを覚えた。

生まれて初めて見る名古屋の街は
伊勢市駅前のシンボルである「三交百貨店」の
数倍高い高層ビルが多数立ち並ぶ大都会。

そんな有り得ない街並みに
まだ15の僕は、しばし言葉を失った。

時間にしてわずか1時間30分。

たったそれだけの移動時間で
これだけ街並が変わってしまうのか・・・

まさに「井の中の蛙」とはこのこと。
世の中は広いって本気で思った。

そこから迷いに迷いながら
地下鉄を乗り継ぐこと約60分。

降り立った駅の改札を抜けると

え〜!?
何この駅〜
しょっっぼー!!


さっきの名古屋駅とは
比べものにならない“しょぼい駅”に

こ、ここなのか?
ここが僕の新しい生活が
始まる場所なのか!?


と考えさせられた。

考えてみれば事前に送られていた
住所と地図と寮の名前以外
何の情報も持たずに来た僕は

改めて
これからいったい何処に
向かおうとしているんだろう?

その時、初めて真剣にそう思った。

自由になりたい。
親や学校の奴隷にはなりたくない。

伝説のロッカー「尾崎豊」に
強い影響を受けていた僕は

家を出ること&お金を稼ぐこと

で尾崎豊になれると信じていた。

ただ漠然とした
そんなイメージだけを夢見ていた僕は

見知らぬ土地に降り立った瞬間
急に尾崎どころじゃなくなり

やっぱ来るんじゃなかったぁ〜
と後悔の念に押しつぶされそうになった。

一瞬
“このまま帰ろうか?”
という気持ちがよぎったけど

数時間前にあんな盛大なお見送りをされた手前
さすがにいきなり帰る訳にもいかないし

え〜い。ままよ!

と地図だけを頼りに再び歩き始めた。

歩くこと15分。

お〜!!
ここかぁ〜


ついに無事到着出来た。

今から思えば
時間にすればわずか数時間の出来事
だったのかも知れない。

でも僕の人生を
劇的に方向転換させたこの数時間は

嬉しくも切なくもあり
寂しくも悲しくもあり〜の

友情・愛情・勇気と挑戦、そして涙と感動
恥ずかしさと情けなさがビッシリ詰まった

短くもあり、超長くも感じられた
今でも僕の人生の中で
もっとも忘れられない貴重な時間となった。


三重から来ました森井ですっ!

元気よくそう挨拶をした僕は
寮長さんとたくさんの先輩寮生たちに
暖かい笑顔で迎えられ、何だかホッとした。


237号室。

通称「サン・ナナ」

それが僕に与えられた部屋番号。

今でも忘れもしない237という数字。

この「237」から
バイオレンスでアドベンチャーな
エブリデェイが待っているとは
この時、まだ知る由知もなかった。

これからどうなるんだ!?

朝起きてから
5分後の未来も想像がつかない連続に
ワクワクとドキドキで心臓が飛び出しそうだった
15の僕の「独立記念日」でした。




















posted by Morii at 14:42| Comment(0) | 日記

2010年02月17日

バイオグラフィー 15

部活を引退し、秋になると
一気に受験モードに突入した。

3年生の秋ともなると誰もが高校受験を意識し始め
それまでワイワイしていたクラスのメンバーたちも
次第に真面目に勉強する様になり始めた。

誰もが疑問を抱くことなく高校進学を希望し
少しでも偏差値の高い学校を必死に目指していたけど

だけどそれは本当に自分の望んでいる
選択肢なんだろうか?

そんな思いが僕の中にずっとあった。

♪自由に生きて行く方法なんて
100通りだってあるさ〜♪

と歌う
大好きだった浜田省吾の影響からか

テストの成績だけで決められた偏差値を頼りに
与えられた2つか3つというわずかな選択肢の中から
選ぶだけが全てではないと思っていた。

一日も早く自分の力でお金を稼ぎたくて
中学を卒業すると同時に働くと決めていた僕は

給料をもらいながら働くことが出来
しかも通信教育で勉強が出来るという
企業内学校に進むという道を選んだ。

他の誰とも違う選択を下した僕は
先生たちからすれば
“まだ世の中も分からない子供のくせに”
と生意気に映っていたのかも知れない。

だけど誰もが通る無難な道だけが
人生じゃないって思ってた。

人生は1度きり!
やっぱ自分だけの道を歩かなきゃ!!

義務教育が終わるってことは
“それ”を意味するんだって
子供ながらに本気でそう思ってた。

少し背伸びをした様なそんな僕に対し
極力、授業のジャマはしないで欲しい
的な空気がクラス全体から感じ取れ

僕のボケが空回りし始めたのも
誰よりも早く進路を決定させた
1月頃だったと記憶している。

高校受験と関係がなくなってからは
授業中に先生から当てられることが明らかになくなり
次第に真面目に授業を聞いていなくても
怒られることがなくなったことを今でも覚えている。

誰もが必死に高校進学を目指している中
一人、誰とも違う選択を下したことは
チャレンジというより、むしろ無謀だった気がして

やっぱりみんなと同じ様に
地元の高校進学を選んだ方が
良かったんじゃないか?

今ならまだギリ間に合う。
考え直した方がいいんじゃないか?

授業中
窓から青空を眺めながら

本当に自分がしたいことは何なんだ??

一人、自問自答していた。

中学卒業を控えた数ヶ月間は
高校受験という名のもとに
先生からも周りのメンバーたちからも
距離を置かれた気がしてとても寂しく感じられ

人と違う選択をするということは
寂しいものなんだってことを体で学んだ。

中学を卒業すれば
高校に進学する。

学歴社会と言われる時代においては
ごく当たり前のことなのかも知れない。

だけどテストで高得点を取ることが

クラスでの人気者になることや
お目当ての女子と付き合えることに
繋がるとは、到底思えなかった様に

高学歴であることだけが
素晴らしい人生になるとは
どうしても思えなかった。

学歴社会という世の中に対し
あえて勝負してやろうじゃねぇか!!

って15の僕は本気で思っていた。

早く大人になりたかったというよりは
学校や親達が作り上げたルールに縛られるのが
嫌だっただけなのかも知れない。

でも本当は
安易に高校に進学することで
簡単に数年先が見えていたことが
つならない様に感じていたんだと思う。

この先に何があるのか?
いったい誰が僕を待ってくれているのか?

明日は何が起こるのか?

明日のことは明日にならなきゃ分からない毎日に
きっと魅力を感じていたんだと思う。

親元を離れ、そして仲の良かった友達とも別れ
見知らぬ街での寮生活を考えれば不安でたまらなかったけど

「寂しくなったら
やめて帰って来ればいいんだ!!」

逃げ道を作ることで
不安な気持ちを必死で解消させた。

だから旅立つ出発の日時は
担任の先生以外、誰にも告げずにいた。

それなのに出発当日の朝
駅には僕の予想をはるかに上回る
大勢の友達が見送りに来てくれていた。

頑張ってね!
手紙書くね!
たまには電話してね!

抱えきれないほどの花束を渡され
嬉しいやら恥ずかしいやらビックリやらで
気持ちがいっぱいいっぱいになってしまったことを
今でもハッキリと覚えている。

き、来てくれて
あ、ありがとう・・・

そう言うのが精一杯の僕は
みんなの前では必死に笑顔を作っていたけど
電車のドアが閉まった瞬間、僕の目から涙が溢れ出した。

卒業式でも泣くことなんて絶対になかったのに
一生分の涙を出し切ったんじゃないか!?
って思えるほどの涙が溢れ出した。

こんなにたくさんの人に
僕の門出を祝ってもらえるなんて
嬉しくて嬉しくて、どれだけ拭いても
涙がとまることはなかった。

だけど本当は
こんな盛大なお見送りなんてされたら
やめて帰って来れへんやんか〜(涙)

っていうのが本当の気持ちだった。

寂しくなったら本気で
すぐにやめて帰って来ようと
思っていただけに

こんな盛大なお見送りは
嬉しいという気持ちの反面
本当に迷惑な話でもあった。

結果的には予想外の盛大な見送りのお陰で
その後、事業で大失敗するまでの8年間もの間
生まれ育った伊勢の町を離れることを余儀なくされてしまった。

この先に僕の想像を絶する
デンジャラスな生活が待っていることを
まだ知らない僕は

期待と不安。
そして寂しさと大きな感動に包まれ

車内の人目を気にすることなく
ただ涙を流していた。






posted by Morii at 22:10| Comment(0) | 日記

2010年02月12日

バイオグラフィーBLOG 14

こう見えても平和主義者だった僕の学生時代は
人を殴ったり、誰かに暴力を振るうってことはなかった。

ただ1回だけクラスのみんなの前で
キレたことがあった。

学生生活の中で1回だけ
本当に怒れてしまったことがあった。


それは、ある日の出来事。

教室に入り、いつも定位置だった
一番後ろの自分の席に着こうとした瞬間

僕の机の上いっぱいに
絵の具で書かれた落書きが・・・。


誰だ!?
こんなことしたヤツは!?


と辺りを見渡した。

当時の僕にこんなこと出来るヤツは
間違いなく仲の良かったNかHくらい。

でもいたずらにしては
ちょっと度が過ぎるいたずらに
簡単に笑って見過ごすことが出来なかった。

机を壁に思い切り叩き付け

誰がやった!?

今まで1度も見せたことのない
いきなりキレた僕の表情に

教室の中に一瞬で
張り詰めた空気が流れたのが分かった。

散乱した僕の教科書を慌てて拾い集め
必死に机を拭こうとする女子に向かい

勝手に消すんじゃねぇ!!

と手を止めさせた。

絶対、誰かは見てるハズだろ?
見てたヤツは誰がやったか教えてくれ。

僕はやってない。
俺はホントに見てなかった。
僕は隣のクラスに行っていたから。

大声で訴える僕の声にベクトルが自分にしか
向いていない連中ばかりの姿にがっかりした。

犯人が憎い訳でもなく
いたずらされたことが悔しい訳でもなかった。

誰一人勇気を持って
手を上げるヤツがいなかったことに腹が立った。

NもHも札付きのワルだったから
びびって言えないのは分からないでもない。

だけど
たとえ相手がどんなに強い人間でも
40対1だったら、負ける訳がない。

それなのに40人近くもいるメンバーが
たった一人か二人のために
びびってしまっている姿は残念でならなかった。

たった一人を
40人で見捨てるのかよ??


お前らそれでも仲間か!?

それでも誰一人、僕と目を合わすことなく
シーンとした空気だけが流れた。

こんな理不尽がまかり通るクラスじゃ
意味がないじゃん!

誰か勇気を出して
犯人の名前を言ってくれ!!

それでも誰も何も言わないクラスのメンバーに
心からがっかりした。

何が仲間だ、何がクラスだ!

と手当たり次第
周りの机を蹴飛ばしながら教室を跳び出した。

おい、どこに行くんだ?
授業が始まるぞ。


廊下ですれ違った先生のセリフに

何が授業だ!!
勉強よりもっと大事なことを
教えてやってくれよ!!

と捨て台詞を吐き
僕は保健室へと向かった。

また森井クン?

若くてキレイな先生のいる保健室は
僕たちにとって癒しの空間だった。

いつ行っても何も聞かずに
優しく接してくれる保健の先生は
本当に天使の様だった。

派手にキレてしまった手前
すぐに戻ることが出来なかった僕は
次の授業も保健室で寝て過ごすことにした。

休み時間になると心配した
仲の良かった女子2人が
クラスに戻る様、説得に来てくれたけど

たった2人じゃ戻れない。

という僕のセリフに

何それー!!
せっかく来てあげたのに
失礼しちゃうわねー!!(笑)


じゃ何人だったら
戻ってくれるの??

と聞き返す2人に

・・・6人
やっぱ8人くらいかな?

出来れば隣のクラスの
女子にも声をかけて。

と頼む僕に

苦笑いしながら
再度、計10名の女子を引き連れての説得に
心から気分を良くした僕は

仕方がないなぁ〜

と教室に戻ることを即決意。

お・ま・た・せ〜!!

とばかりに
何事もなかったかの様にクラスに溶け込んだ。

教室に入るなり
いきなりNとHが飛んで来て

これ見てくれよ!
俺達もやられちゃったよ〜




自分達の机の上に書かれた
絵の具の落書きを指しながら

犯人は俺じゃない。

という彼らの必死のパフォーマンスに
思わず爆笑してしまった。

その後、卒業するまでの間、
人前でキレるといったことはなく

基本的に超平和主義者の僕が
みんなの前でキレてしまったのは
これが最初で最後だったと記憶している。

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2010年02月06日

バイオBLOG 13  リアルな妄想

3年間という中学校生活の中で
僕にとってとても印象に残っている
出来事の一つに

クラス対抗春の陸上大会

でクラスの1500m代表に選ばれ
見事一位を獲得出来たことがあります。

1500mは、棒高飛びと並ぶ最も注目度の高い競技。
中でも3年ともなれば下級生たちの熱い視線付きで
余程、競技に自信がなければ誰もやりたがらない種目。

と言うのも

各クラス足自慢の選手がエントリーしてくるのは
必至だから、よっぽど目立つのが好きじゃなければ
全校生徒の前で赤っ恥をかく羽目に。

当然のとながら、僕自身
そんな競技に出るつもりはなかったんだけど
なぜか満場一致で僕が選ばれてしまった。

マジでぇ〜!!(涙)

各クラス代表の名前を聞くと
陸上選手を筆頭に足の速い連中ばかり。

そんな連中相手に1500なんて
卑怯だぁ〜!!


と嘆いてみても始まらない。

やばい。
このままではマジで
全校生徒の前で
最下位になるかも。(汗)


最下位になること自体は
あくまでその時だけのことであって
それほど深刻な問題ではないかも知れない。

でも“僕が最下位だった”というイメージが
全校生徒のみんなに伝わったまま、これからも
ずっと生きて行くのは超深刻な問題!!

焦った僕はそれからの1ヶ月間
毎日トレーニングをつんだ。

ケンカでもそうだけど
どれだけ腕力があっても
びびったら絶対に負け。

まずは意識改革。

陸上部の選手が絶対に
100%完璧って訳じゃない!

確かに100m走や10キロマラソンという
専門の距離だったら、まず勝ち目はない。

だけど1500という中途半端な中距離には
短距離での瞬発力や長距離での持久力は
逆に足かせになるかも知れない!

まずは精神的にびびらないことからスタート。

お前なら必ず優勝出来る!!

まずは自分の意識改革からスタートさせた。

さらに他の1500走の選手と廊下ですれ違うと

ぜってぇーお前には負けねぇ!

的な雰囲気をかもし出す心理作戦を駆使した。

どうしたんだよ?
急に冷たいじゃないか。
僕が何か気に障ることでもした?


肉体的ハンデを精神的ハンデで
補うことに必死の僕は、心の中で

(ごめんよ)

と言いながら、それでも心を鬼にして
ライバル達を威圧し続けた。

そして
「モチベーション大作戦」
と題し

クラスの女子に「黄色い応援団」を作らせ
優勝した暁にはご褒美の約束を取り付け

他のクラスの女子にも僕を応援してくれる
応援団を結成させた。

何でウチのクラスの女子が
違うクラスのお前を応援するんだ!?


と友達に突っ込まれながらも

無駄な抵抗かも知れないけれど
一応やれることはやっておこう。

と思った。

どれだけ気持ちが強くても所詮はスポーツ。
何だかんだ言っても体力がものを言う世界であり
足腰の筋力がなければどうにも話にならない。

それからは1500という距離に照準を合わせた
走り込みを開始した。

それでも
強い肉体と強い精神だけでは
絶対に勝てないのが勝負の世界。

最後の切り札は、何と言っても
戦略という名の頭脳プレー。

18名の代表選手の中で
僕の存在は無に等しいほど無名な選手。

つまり僕の考えた
「欠点は長所の裏返し理論」でいけば
予想外の僕の活躍は、周りの選手を驚かせ
ペースを乱せるかも知れない。

レース中盤までは真ん中の位置をキープさせて
後半に入ってすぐ先頭集団に合流。

ここで驚かせ
一気にペースを乱す作戦に。

勝負はラスト一周で決まるもの。

最終コーナーを回り、ラスト50メートルで
一気にラストスパートをかけるのが
一般的な上等手段。

万に一つでも僕が優勝するためには
ラスト1週の地点で二位をキープし

トップ走者よりもいち早く
ラストスパートを仕掛けるしかない。

そう、
最終コーナー手前からの
ラストスパート。


55メートルや60メートルでは
トップとの差を縮めるのは難しい。

いや、やはりここはリスクを犯して
最終コーナーの手前に全てをかける。

「最終コーナー手前」という
前代未聞のあり得ない位置からのラストスパートは
最後の最後にバテに繋がるかも知れないけど

“プロ”相手にまともに戦っても
勝てる訳がない。

万が一にも素人の僕が一位を獲るためには
「あり得ない奇策」しかないと思った。

結果的には
俺は預言者か!?

というほどレースは面白いほど
僕の予想通りの展開が待っていた。

BESTを尽くすこと。

そして
リアリティー溢れる妄想こそが
未来を創るんだってことを実感した。

レース終了後、周りのみんなから
すごいじゃん!!と騒がれ

あの位置からのラストスパートは
絶対にあり得へん!!


と大爆笑された。

みんなからは
一位になれる
自信はあったの?

なんて聞かれたけど

もちろん一位を獲れる自信なんて
これっぽっちもなかった。

一位が獲れたのは自分でも本当に驚いたし
“一位を獲れる自信”なんて本当になかった。

だけど
初めから一位を獲ること以外
頭になかったのも事実だった。

どれだけ考え悩んでも
どれだけハードなトレーニングを積んでも
それまで全く結果のない僕にとって

不安になることはあっても
自信を得ることなんて不可能だった。

だからレースを通し
自信とはもともとあるものなんかじゃなく
行動を起こしたその先に待っているモノだってことを知った。

自信があったから
一位じゃなく

一位を獲ったから
自信が出来たんだと思う。


アクションを起こすのに
自信なんていらないんだって思う。

必要なのは自信を探すことよりも

“もっと自分を信じること”

自分の肉体と精神と頭脳を信じて
今出来ることを精一杯やるだけなんだって思う。


あれから25年。

スポーツの世界で僕が一位を獲れたのは
今でもその時が最初で最後。

表彰状もない、超非公式の一位だけど
僕の中の「心のトロフィー」は今も輝き続けている。



































posted by Morii at 07:22| Comment(0) | 日記

2010年02月05日

バイオBLOG 12 幻の90点

3年になって間もない頃
家の近所に塾が出来た。

3年生は受験もあることだし
塾に行ってみない?

それまで塾も家庭教師ももちろんのこと
学校の勉強とは全く無縁だった僕を見かねてか
母親が塾に行くことを勧めてくれた。

塾なんていいよ〜
と思ったけど

バレー部で一番仲の良かった
S君も通うことになり

だったら面白いかも!

と、僕も通ってみることにした。

塾では数学と英語を教えてくれるとのことで
わざわざご丁寧に2教科分の塾代を出してくれたが

でぇいす あ〜 ぺぇん!

あんだぁ〜ざぁ〜 ちぇあ〜

というイングリッシュとは程遠い発音の
お爺さん先生による学校での英語の授業に
ほとほと嫌気がさしていた僕は

英語は将来
大人になってから勉強しよう!!




数学分の塾代はちゃんと払い
英語分の塾代はポケットマネーとして
有難く使わせてもらうことにした。

先生自身、塾をオープンさせて間もなく
僕たちが記念すべき第1期生だった上

生徒も僕を含めてまだ4人と少なかったこともあり
情熱を持って本当に一生懸命に教えてくれた。

時にはお好み焼きをご馳走してくれたり
恋の相談に乗ってくれたりと、本当に良くしてもらった。

ただ、僕も友達のS君も
塾に入ったのは、ただ単に

「夜間に外出しやすくなる」
「塾代の半分をおこづかいに出来る」


そんな不順な動機だっただけに

時々、頼んでもいないのに、わざわざ自宅まで来てくれ
家庭教師をしてくれるのは本当に有難迷惑で
先生の熱意は非常に重かったことを覚えている。

そんな矢先、学校での中間テスト対策の
カリキュラムを塾で用意してくれた。

翌日、学校で出されたテスト問題を見た瞬間

こ、これは
昨日、塾で出された問題やん!?


出されたテスト問題には
問題内容もレイアウトもほぼ90%以上
昨日と全く同じ問題が書かれていた。

さすがに昨日の今日では楽勝で
楽々90点台の得点をマークした。

お陰で数学の先生を始め、周りの連中には
僕は数学が得意な生徒に思われてしまった。

だけど絶対にそんなことはない!

だって昨日の塾でのテストではわずか30点であり
今日の中間テストで90点を取れたのは、ただ単に
昨日の答えを丸暗記していたに過ぎないから。

つまりこの90点は
本当の僕の実力ではないってこと。

母親に嘘はつけても
自分に嘘はつけない!!


と、生まれて初めて取った
90点のテスト用紙を丸めて捨てた。

そもそもテストの点数だけで
人を評価することに
僕はどうしてもなじめなかった。

僕の中で偉大だったS先輩の通信簿は
(憶測だけど)きっと悪かったに違いない。

だけど僕たちがヤンキーにからまれた時
自分がやられるかも知れないという
リスクを負いながらも、僕たちのために
体を張って守ってくれた。

心配したり、慰めてくれたり
注意してくれる人はいるかも知れない。

だけど僕たちのために
果敢に殴りかかってくれる人は
きっと大人でもそういないハズ。

そんな事実はきっと通信簿には
反映されていないんだと思う。

弱い者イジメをしたり
イジメを見ても見ぬフリをしていても
テストの成績さえ良ければ
その人の評価が良いとは僕は絶対に思えなかった。

見て見ぬフリをする人が圧倒的に多い中
いつだって勇気を持ってアクションを起こす
先輩のファイティングスピリッツは

僕の中ではオール5です!!

“鬼のS”の異名を取るS先輩は
他校のヤンキーには絶対に一歩も引かず
僕たちの治安を守ってくれていた。

そんなDNAは代々受け継がれ
僕たちの世代にも引き継がれていた。


僕たちの評価は
テストの成績や通知表だけが
全てじゃないってことを。





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2010年02月04日

バイオBLOG 11 LIVE

中学3年になった僕に恐いものは
何一つなかった。

イジメなんてもちろんのこと
ケンカを売られることもなかった。

イジメられていた1年生の頃が
まるでウソだった様に
面白いほど毎日最高のスクールライフを
エンジョイしていた。

そんなある日、同じクラスのある男子が
バカにされている光景を目撃。

それは身長が前から3番目の3人が集まった
アニメソング大好き超オタクっ子。

よくよく見るとシャーペンとかを
取られているにも関わらず
ヘラヘラと笑っているその姿に

これはイジメだ!!
と感じた。

低身長&ラーメンパーマというスタイルで
休み時間になると教室の端っこで
アニメソングを熱唱して盛り上がっている姿に
女子からも冷ややかな目で見られているのが
痛いほど手にとる様に分かった。

この中の誰かと付き合ったら
私までイジメられそう。


多くの女子生徒たちに
そんな雰囲気をかもし出すほどの
強烈なオタクパワーを彼らは発揮していた。

低身長でラーメンパーマ。
イジメられ、女子にはモテず
存在感がない。

確かにそんなイメージの彼らだが
果たして本当にそうなんだろうか?
と思う様になった。

何もしなければそのままで
終わってしまうかも知れない。

だけど何かをすれば
未来は変わるかも知れない。

そう思った僕は
彼らをプロデュースしてみようと思った。


だけど
パッとしない彼らを人気者にすることなんて
本当に出来るだろうか??

低身長・ラーメンパーマ、アニメソング
精神年齢の低さ、地味さ、ダサさ
イジメられっ子、オタク

どう転んでもモテる要素の少ない3人なだけに
まともに考えれば絶対女子にモテる訳はない。

だったら
ないものを与えるのではなく
彼らの今あるものを活用することで
活路を見出すしかない。

ダサいと思えるのは中途半端だからであって
どんなダサいと思えることでも、とことんやれば
カッコ良く思えるってことは少なくないもの。

つまり
パッとしないと思える要素を
最大限に活用することで
“それ”を魅力に変えるというもの。

これが僕の考えた
欠点とは長所の裏返し理論。


早速、アニメソングLIVEという企画を
3人に打診するものの

え〜 そんなのヤダよ〜

と即答でNo!の返事が・・・。

だけど
「脅しをかければ命令には必ず服従する」
というイジメられっ子独特の特性を活かし
何とか契約のサインをゲット。

まずは、その低身長を活かしてチーム名は
「チビッコファンキーズ」に決定。

ファッション的には
ズボンの丈が中途半端に短いから
ダサいのであって、靴下が完全に見える
くらいまで短くしちゃえば逆に笑える。

欠点と思えることでも堂々と見せちゃえば
それは欠点ではなくファッションになるもの。

そんな言葉を合言葉に
LIVE本番に向けて
4人の熱い猛練習が始まった。

途中、クラスの周りには
僕がイジメをしている様に見えていただけに
何としても成功させなければと思った。(汗)

運命のLIVE当日。

これまでに築いたネットワークと
手書きで書いた似顔絵付きチラシが功を奏して
チビッコファンキーズのファーストライブには
たくさんの観客が集まってくれた。

僕の汚名返上&3人の未来を乗せて

机を活用した特設ステージにて
最強のアニメソングLIVEが決行された。

机の上で腰を振りながら拳を突き上げ
得意のアニメソングを熱唱する3人に
皆拍手喝さいで、大爆笑の嵐。

見事大盛況となった。

それはまさに、それまで全く女子の視界にも
入っていなかったかも知れない3人が
多くの女子生徒の視線を釘付けにした瞬間です。

連日、昼休みは大盛況で

ぜひ俺たちのクラスでも
やって欲しい!!


と他のクラスからもライブのオファーが
来るほどに話題が話題を呼び

いつしか教室には入り切れないほどの人が集まり出し
噂を聞いた下級生たちまでもが聞きに来るまでになった。

一躍時の人となった3人は
女子だけでなくクラスの人気者となり
ダサいというイメージは完全に払拭された。

その後、チビッコファンキーズのLIVEは

何やってんだ!お前は!?

と、僕が教育指導の先生に呼び出しをくらうまで
5回の昼休み限定ゲリラLIVEを決行。

全て超満員でファイナルを迎え
幕を閉じることとなった。

















posted by Morii at 14:45| Comment(0) | 日記

2010年02月03日

バイオBLOG 10 背中のぬくもり

ようやく長かった1年が過ぎ
晴れて中学2年生となった僕のクラスは
それまでの1年間とは真逆なくらい
超楽しいクラスだった。

学年でも「可愛い!!」と言われている女子が密集し
イジメなどとは全く無縁の仲良しクラス。

授業中、僕の後ろの席に座っている女子から
背中を指でツンツンとつつかれ

ねぇ、教科書貸して。

と頼まれ

何気に教科書を手渡すと
心温まるメッセージが書かれたメモ用紙を
挟んで返してくれる彼女の行為は

それまで
コンパスの先で背中をツンツンつつかれていた
僕にとって「夢のスクールライフ」を演出してくれた。

「青春という名の幸せ」を実感したのも
この時が初めてだったことを記憶している。

中でも小学校時の生徒会長立候補での推薦者でもある
親友E君がクラスに居てくれたことは
僕にとって一番ラッキーな出来事だった。

僕の言うくだらないギャクに、イチイチ
腹を抱えながら涙を流して爆笑してくれる
E君のお陰で、僕は一躍クラスの人気者となった。

部活を始めよう!

ある日「ゲームセンター部」を卒業した僕に
一緒に部活をしようとS君が声をかけてくれた。

二人が選んだのはバレー部。

理由は、他の部活に比べて同期の部員数が
わずか3名と圧倒的に少なかったから

ここなら未経験&途中入部でも
レギュラーになれるかも!?


いやいや物理的にどう考えても
100%なれるハズ!!

そんな不順な理由からでした。

陸上、野球にバスケにバトミントン。
部員数も多く、全国大会で好成績を上げている
人気クラブから見れば、人数の少ない
弱小バレー部だったかも知れない。

だけど笑いとチームワークだけは最強のチーム!

幸い良きメンバーに恵まれたことで
大切なのは、勝つことや上達することじゃなく
毎日を楽しむことなんだってことを学べた。

毎日、汗まみれになりながら走り回る日々に
ただただ楽しかったことを今でも覚えている。

時々、かつてのイジメっ子達と
廊下ですれ違うこともあったけど

僕がにらみを利かすと目線をそらし
僕を避けながら下を向いて歩くその姿に
改めて完全勝利を実感した。

ただイジメられていたことに対しては
恨みや悔しさなんかはこれっぽっちもなかった。

何故なら

汗をかきながらスポーツすることの
爽快感を人一倍味わえるのも

授業中、背中にぬくもりを感じられたのも

全て1年時のクラスと
比較してのことだと思えたから。

女の子のやわらかい指でつつかれることが
幸せだったんじゃなく

コンパスがやわらかい指に変わったことに
幸せを感じていたんだと思う。

1年生の時に、何の問題もなく過ごしていたならば
果たして”普通に授業を受けられる”というだけで
今ほど幸せを感じられただろうか?

答えはきっとNOだと思う。

空腹感こそが満腹感を与えてくれる様に
辛かった過去の1年間が、今の幸せを
気付かせてくれているんだと思う。

そう思えば、恨むどころか
むしろ感謝したいくらい。

確かにイジメは辛いことかも知れない。
(いやいや間違なく辛かった。)

でもそこから得たもの、学べたものは
僕にとって大きな財産となったと思う。

偉大なる不良、S先輩との交流。
二人を繋ぎ合わせてくれた笑いの偉大さ。

服装が与えるインパクトの凄さ。

困難から脱出する方法論。

何より、困難を克服したことで
自分自身が一回り大きく成長出来たと
実感出来たことに感謝感謝です。

僕にとってのイジメとは、ただツライこと
だけじゃなく、あらゆることを教えてくれる
なくてはならない存在だったのかも知れない。

振り返ると中学2年生の1年間は
恋に友情にスポーツにと
学生生活の中でも特に楽しい
本当に充実した1年間だった。

ただあまりの楽しさゆえに

えっ〜!?
もうクラス替え!?


と、365日という時間が
あっという間に過ぎ去ってしまった
もっとも早い1年でもあった。

あと少しで
このクラスともお別れだねぇ〜(涙)


楽しかったクラスのメンバーが
皆バラバラになってしまうことに
涙している女子を横目に

辛さは時間を長く感じさせ
楽しさとは時間を短く感じさせるんだ
ってことをしみじみと感じていた僕だった。










posted by Morii at 13:30| Comment(0) | 日記