2010年03月29日

バイオグラフィーBLOG 24

365日。

1年という歳月は人を大きく成長させる
十分な期間なんだって思った。

2年になったというだけで
僕たちの生活は大きく一変した。

それまでの1年間は
たとえどんなに才能や実力があっても
絶対に上に行くことは不可能な

まさに封建的システムを構築した
江戸時代な1年だったのに対し

2年からは完全実力主義。
まさに戦国時代の世界だった。

それまでは、たとえ1年の権力者であっても
それが2年生ならば、どんなに相手がシャバくても
絶対に逆らうことは出来なかったけど

2年になったとたん
そんなルールは完全になくなり

力のある2年が圧倒的に
3年を上回れる世界が待っていた。


実力に見合わない者が
「ヤキ入れ」をしていると

「下克上」という名のもとに
力強い2年にパシりにされていった。

もう完全に思考はショート。

だってそれまで恐かった先輩が
パシリにされちゃうんだもの。

何だよ〜
そうだったのかよ!!


次第に勢いに乗って行った僕たちは

ポマードべッチョリ♪
クールでバッチリ♪

を合言葉に

勢いあるチームを作りあげ
3年からも一目置かれる存在となっていった。

「多勢に無勢」とはこのこと。

さすがに20人くらいの人数でいると
先輩たちもビビってか
あまり関わろうとはして来なかった。

あの頃の僕たちに
恐いものなんて何もなかった。

それでも上とのネットワークは重要。

当時の3年は権力者が3人もいる
乱立政権だった。

3人ともそれぞれ魅力的な先輩で
僕たち2年からの人気は皆均等だっただけに
いったいどの権力者に付いていいものか
分からなかったのがホントのところ。

たくさんいる先輩の中には
恐い先輩もいれば、そうでない先輩もいる。

組織力のある先輩もいれば、一匹狼的な先輩もいる。
力のある先輩もいれば、バカにされている先輩もいる訳で

大切なのは
それを見極める力が求められた。

同じ先輩でも誰に付くかで
ポジションは大きく変わったんだ。

お前は誰に付くんだ!?

何言ってんですか〜
もちろん
先輩に決まってるじゃないですかぁ!


3人の権力者それぞれに調子の良いことを言って
上手く仲良くしてもらっていた僕は
その“時期”を待っていた。

そんな矢先、遂に3人の権力者争いが勃発。

今、3人で話あっているらしいぜ。
ホントに話だけで済むのかなぁ?

僕たち2年に戦慄が走った。

結果的にはトップ一人が真の権力者となり
もう一人が副で落ち着いた。

非情にも、もう一人の先輩は
奈落の底に落ちて行った。

権力者争いに負けた先輩のポジションは
決して3番ではなく、ずっとずっと下の方だった。

あの人はもうダメだ。

その情報は
一瞬で僕たち2年の間に流れた。

実際、卒業するまでその先輩の名前が
僕たち2年の間で出ることは一度もなく

大切なのは
力じゃなくメンタルなんだって思った。

ケータイもメールもない時代。

僕たちの寮生活は人力による
超アナログ情報化社会だった。


1000名ものヤローたちの中で
食事やお風呂など毎日を楽しく暮らすためには
どのポジションに座れるかで何もかもが決まった。

結束の固いチームを作り
権力者にだけは絶対的な忠誠を誓うことで

2年だけでなく3年をも寄せ付けることなく
僕たちは“そのポジション”を手にしていった。

寮生の中間管理職とも言える2年は
先輩とのコミュニケーションだけではなく
1年をまとめるという大きな仕事もあった。

400名近い数の中には
決して大人しい1年ばかりではなく
中にはかなり気合の入った1年もいる訳で

そんな気合の入った1年を担当するのが
僕たち5棟の役割だった。

先々、下克上で後輩たちから
“やられるかも知れない”というリスクを負いながら

わざわざ夜中の1時や2時に起きて
“ヤキ入れ”なんて誰もやりたくないだけに

なぜか僕にはオファーが多かった。(苦笑)

今週あたり頼むよ〜

と、1棟や2棟からオファーが入るたびに

ちぇっ 仕方がないな〜

と、心の中では(みんなズルいよな〜)
なんて思いながらも僕は嫌な仕事を淡々とこなしていった。

そんなことを繰り返す中で
きっと先輩たちもこんな気持ちだったのかな?
なんて思えてちょっと笑えたりもした。

お前かぁ?
態度の悪い
生意気な1年坊ってのは?


まさに1年前の自分が経験した全く同じ状況を前に
自分の発したセリフに思わず苦笑いをしてしまった。

いつの時も
こうやって時代は繰り返されているんだ
ってことを知ることで、何だか大きくなれた気がした。

僕たち5棟の2年を鬼の様に恐がっている1年生たちに
1年前の自分をオーバーラップさせながら

大丈夫だって。
そんなに恐がることなんてないって!


そんなことを思いながら

もう少し頑張れ!
頑張って2年になったら一緒に楽しもうぜ!!


それまで首を長くして待ってるぜ!!

と聞こえないエールを送っていた僕だった。
posted by Morii at 19:32| Comment(0) | 日記

2010年03月25日

バイオグラフィーBLOG 23

お〜い、1年〜
全員集まって〜


ある日3フロアの1年生が全員
僕の部屋に集められた。

何だ何だ?
この時期に来て
最後のヤキ入れってか!?


なんて思っていたら

1年間本当にお疲れさん。
よく頑張ったな!


いつもより多く集まった先輩達が
笑顔で優しくそう言ってくれた。

何が始まるのか分からない僕たちは
緊張した顔で、ただ固まったまま
先輩たちの話を聞くしかなかった。

いよいよお前たちも2年生だ。
これまではいろいろ厳しかったけど
これからは自由の身だ。安心しろ。

(自由!?)

髪型も服装も全て自由だ。
ヤキ入れももう二度とないし
これから俺たち2年と3年は仲間だ。

(仲間!?)

挨拶も別にしなくてもいいし
もしするんだったら3回もいらないから。 

って言うか
絶対に3回もするんじゃねぇぞ!(大笑)


あと少しで新1年坊が入って来る。

これまでお前たちが経験したことを
今度はお前たちが後輩達に指導する番だ。

ヤキ入れをする、しないは
お前たちに任せる。

基本的にはこれからお前たちは
俺たちを気にすることなく何をやっても自由だ。

ただ一つだけルールがある。

(何!?)

ぜってぇー
1年坊にだけは舐められるなよっ!!


もしも1年坊に舐められることがあったら
そん時は絶対に許さねぇーからな。

それさえ守れば後は何をやっても自由だ。

“絶対1年坊にだけは
舐められるな”


これが代々寮に伝わる伝統だった。



こうして僕たちの長く辛かった
1年は幕を閉じた。

ヨッシャー!!!

このままの状態が一生続くんじゃないかって
思っていただけに

重い鎖が外された様なあの時の爽快な気分は
今でも忘れることが出来ない。

何不自由なく暮らしていたら、きっと
これ程まで喜ぶことはなかったハズ。

だから本当の自由は
不自由を乗り越えた
その先にあるんだって僕は思った。


新1年生が入寮して来る前に
僕たち新2年生は一足先に部屋の大移動が始まった。

400名強いた僕たちのメンバーも
2年に上がる頃には実に360名ほどに減っていた。

その内の100名ほどが1年の教育担当係。

残りのメンバーが4〜6棟で3年との相部屋。

内心
もしかして教育係担当の
1〜3棟かも!?


な〜んて思っていたけど
そんなことはある訳もなく

見事、僕の新しい部屋は
524号室に決まった。

通称、魔の5棟。

あれほど恐かった5棟に
今度は僕が住むこととなった。

やっとなれた
2年を満喫することに必死の僕たちは

ぞくぞく入寮して来る、子羊・・・じゃなくて
新1年生たちを笑顔で出迎えながら

恐怖の1年間を味あわせてやるぜ!!
と息巻いていた。

そんな僕のヤキ入れ担当は2棟。

僕たちがそうだった様に
「5棟から来る」というだけで
その効果は絶大で

時には担当外の棟からも
頼むよ〜
オファーが入ったりもした。

1年に舐められないことが
僕たち2年に与えられた
絶対的な至上命令だけに

派手なヤツや生意気そうなヤツは
僕たち5棟が担当だった。

1棟の2階に悪そうなのがいる。
2棟4階に態度のデカイヤツがいる。

次々にいろんな情報が入って来るたびに
1年前の僕の情報もこんな風に飛びかって
いたんだろうな、なんて思えた。

2棟2階だけどさ
一人ガラの悪そうなのがいるんだよ。
時間はそっちの都合に合わすから
今週の金曜か土曜あたり来てくれないかな〜 

頼むよ〜

そんな役回りを頼まれるたびに

“サンナナ”の森井ってのは
どいつだ?


1年前の可愛そうな自分を思い出す様で
何だかちょっと胸が苦しくなったりもした。

弱い者いじめをしたかった訳じゃない。

ただあの頃の僕たちは、どうしても
舐められる訳にはいかなかったんだ。

それが伝統であり
僕たち2年に与えられた唯一のルールだった。

ケータイもメールもまだない時代。

あの頃、僕たちのネットワークは
光よりも早かった。




posted by Morii at 17:15| Comment(0) | 日記

2010年03月24日

バイオグラフィーBLOG 22

激動の白川合宿も終わり
そしてSたち10名もいなくなり

厳しい毎日なりにも、それなりに楽しく
僕は寮生活をエンジョイしていった。

恒例となった月に数回の「ヤキ入れ」も
回を重ねるごとに慣れて来たのか

ちぇっ またかよ!

と、それ程恐くはなくなっていった。

相変わらずフロアの先輩たちからは
生意気に見られていた様だけど

「魔の5棟」の先輩たちとの交流が進む内に
厳しい先輩の目線も気にせず、マイペースで
エンジョイ出来る様になって行った。

慣れとは恐いもので
入寮したての頃は、あれ程恐かったことが
次第に恐くなくなっていくのが自分でも分かった。

本当は、先輩が恐いのでもなく
ヤキ入れが恐いのでもなく

「初めての経験が恐かっただけ」
なんだって思えた。

慣れるが勝ち!!

どんなにスゴイと思えることでも
どんなに恐いと思えることでも
ただ慣れていなかっただけなんだと思う。

慣れてさえしまえば
いつしかそれは
“普通”になるんだって思う。

いくつかの修羅場を乗り越えたことで
気持ちの上でも少し余裕が出た僕は
久しぶりに地元に帰ることにしてみた。

離れていたのは、ほんの数ヶ月だけど
久しぶりの地元にワクワクしたことを覚えている。

次は伊勢市〜
伊勢市に停まりまぁ〜す。


電車の窓から見えた伊勢の景色に

久しぶり〜!!

と感動したことが今でも忘れられない。

やっぱ地元は最高やね。
しみじみとそう感じた。

たかが数ヶ月。
街並みが変わっていた訳でもないし
新しいお店が出来ていた訳でもないけど

何でだろう?

久しぶりに戻った伊勢の街はとても新鮮で
僕にとって何だが今までとは違って見えた。

家に着くなり速攻で友達に電話。

たった今、帰って来たんだ!
遊ぼうぜ!!


おー!
待ってたぜぇい!!

皆、僕が帰って来るのを楽しみに
してくれていたのが本当に嬉しかった。

久しぶりに顔を合わした友達は
皆それぞれにハイスクールライフを
エンジョイしていた。

中学の時みたいに厳しい校則のない高校では
髪型も服装も自由。

先輩との交流もほとんどない様で
本当に自由で楽しい高校生活の様だった。

俺、今度、スーファミ買ってもらうんだ。
やっぱおニャン子は4番だよな〜

スーファミ?
おニャン子? 4番??


スーパーファミコンが爆発的に売れ
おニャン子クラブが大ヒットした時代の話。

それがテレビとゲームの話であると理解するまでに
少しの時間がかかったことで、改めて

僕はテレビのない生活を
送っていたことを自覚した。


生活の拠点が「家」っていうだけでも
違和感を覚えた僕にとって

一人部屋、しかも自分の部屋に
テレビとゲームがある暮らしなんて考えられなかった。

で、どうなの?
そっちの暮らしは?


かなり都会なんでしょ。
やっぱディスコとか行ってるの?

(思わず)
う、うん。 (嘘)

いいなぁ〜
羨ましいなぁ〜

(嘘だよ〜 全然都会じゃないし
ディスコなんて行ったことないよ〜)

い、言えない。
ホントのことなんて。
 (汗)

テレビもない4人部屋で毎月、ヤキ入れされて
先輩の部屋掃除や洗い物をさせられている
毎日だなんて、恥ずかしくて絶対に言えない。

久しぶりに地元の友達と会ったことで
改めて今の自分が置かれているポジションを
リアルに確認することが出来た。

ただ不思議と
友達たちの自由で楽しそうな暮らしが
羨ましいとだけは思わなかった。


先輩後輩のない男女共学校に通っている
友達からからすれば、僕の寮生活なんて
到底考えられない毎日だったかも知れない。

だけど
毎日の寮生活が当たり前になりつつある僕にとっては
テレビとゲームの話で盛り上がっている高校生活の方が
よっぽど有りえなかった。

あの頃、僕たちの毎日には
テレビもゲームもなかったけど
「生きている実感」
だけは誰よりも強く感じられたんだ。

恐いこともたくさんあったけど
それと同じだけの勇気も手に出来た気がして
やっぱ僕はこの道を選んで良かったって思えた。

テレビとゲームの毎日じゃ
きっと退屈していたかも。


目の前のリアルこそが全て。

振り返ると16〜18歳という人生の中で最も貴重な時代を
テレビとテレビゲームを一切なく過ごせたことが
今の僕の土台を作ってくれている様に思い出される。

地元での生活。
それはそれで楽しかったのかも知れない。

だけど、ずっと伊勢にいたんじゃ
今ほど感動は出来なかったと思う。

本当に大切なものは
失くして初めて気付くもの。


伊勢の街を離れていなければ、きっと
そんな風には思えなかったかも知れない。

寮での生活はルールだらけで
厳しい毎日とばかり思っていたけど

だけど
ルールがないことが
自由だとは思えなかった。


そう思える様になったことで、その後の寮生活は
先輩の厳しい目も何だか温かく感じられる様になり
いっそうエンジョイ出来た気がした。

「楽しい寮生活」があるんじゃない
“楽しく”寮生活を過ごすことが大事なんだ!


どんな状況でも自分の気持ち一つで
いくらでも見え方は変わるってことを学ぶことで
その後の僕は、一気に怒涛の1年生を駆け抜け

気がつけば夢にまで見た2年生。

おめでとう!!

今まで超恐かった先輩達の優しい笑顔に

急に何なんだ!?
この優しい笑顔は!?


いったい何が起こったんだ!?

奴隷の様に扱われて来た今までの一年間とは
180度全く違う先輩達の対応に

一瞬、何が起こったのかが分からず
しばらくは戸惑いを隠せずにいた僕だった。



posted by Morii at 12:33| Comment(0) | 日記

2010年03月16日

バイオグラフィーBLOG 21

超カントリーでバイオレンスだった
白川合宿もようやく終わり

やれやれ

と思ったのもつかの間
またいつもの“激動の寮生活”が待っていた。

白川合宿では
「僕はスゴイ男なんだ。」
ということに気付きながらも

現実的には、ただボコられただけで
寮内では、かなり厳しいポジショニングを
余儀なくされてしまっていた。

休日も含め24時間を共にみんなで生活する
寮生活においては、それでなくても
厳しいルールと厳しい先輩の目があるっていうのに

これからは同期の目も気にしなくては
いけないかと思うと、かなり憂鬱だった。

よりによってあいつらが権力者になるかと思うと
これから3年間もの間

ずっ〜と肩身の狭い思いで
過ごさなけらばならない・・・

なんて考えると

さすがに超ブルー。

これからの
「陽の目を当たらないハイスクールライフ」
を想像すると本当にブルーだった。


(やめて帰ろうかな・・・)


一瞬、そんなネガティブな気持ちになったけど

アカン、アカン。
あれだけ盛大な見送りをしてもらったのに
ボコられてやめるなんて絶対に有りえへん。

しかも同期にやられてなんてバレたら
地元の皆に顔向けが出来ない。

ここは何とか乗り切らねば!!

っていうか
何で僕がやめなきゃいけないんだ!?

こんなことが原因でやめることだけは
絶対にしたくなかった僕は

逆にあいつらが全員やめてくれないかなぁと
真剣に思う様になっていった。

神様、願い事が1つ叶うなら
あいつらを全員どこか遠くに
吹き飛ばしてやって下さい。


超平和主義者の僕に出来ることは
戦うことでも、話し合うことでもなく
ただ祈ることだけだった。

そんな僕の元へ

聞いたで、聞いたでぇ〜
白川でヤられたんやってなぁ〜


どこから聞きつけたのか、魔の5棟から
僕が白川でボコられた情報をいち早くゲットした
パンクロックの帝王「西尾先輩」が会いに来てくれた。

何人や。

10人くらいっす。

10人か。
心配ない。心配ない。
じきに楽になるから
あまり気にせんと過ごせや。

は? はぁ〜

「心配ない」

その時は、その言葉に深い意味が
あるなんてことは思いもせず、ただ

“人事やと思って無責任な〜(涙)”

っていう気持ちになったことを覚えている。

神様。
神様にお願いがあります。


僕に願い事を3つ叶えてくれるなら
その内の1つ目は、あいつらを全員を
どこか遠くに吹き飛ばしてやって下さい。

全員がムリだったら
数人だけでもかまいません。

そして2つ目は
僕にハッピーな自由を与えて下さい。

肩身の狭い思いで毎日を過ごす僕は
そんな非現実的な妄想をして過ごすしかなかった。

くだらない妄想かも知れない。
無駄な抵抗かも知れない。

だけど
ただ下を向いて過ごすくらいなら
祈って過ごした方がよっぽどマシだった。

考えてみれば過去にボコられたから
絶対に未来でもボコられると決まった訳じゃない。

振り返れば
中学の時だって1年と3年生の時とでは
僕の置かれた状況は月とスッポンほど違った訳だし

大事なのは、今現在の状況だけで
物事を考えてはいけないってこと。

過去が未来を作るってことは
絶対にない事実であり

今、これから、どうするかで
僕の未来は変わるんだ!


そんな僕はただただ必死に
あいつらがいなくなります様にと
神様に祈った。

毎日、毎日、そんなイメージを繰り返す中
いつしか想像の域を超え、完全に妄想の域に達した時

ミラクルは起こった。

おい、聞いたか!?
あいつら全員退学だって!!

え〜!?
う、嘘〜!!


信じられないことだけど
なんと本当に僕をボコった奴等全員
誰一人残らず退学になってしまった。

そんなことが本当にあるのか!?

ミ、ミラクルや・・・。

さすがにこの時ばかりは
神様の存在を心底信じた。

Sを中心とした10名に1年を牛耳られ
全く陽の目が当たらない、そんな

“超つまらない”

僕のハイスクールライフは
この地点で完全に消滅した。

白川合宿以来、あまり話かけて来なく
なっていたメンバーたちも
次第に僕の周りに集まり出して来た。

あいつら全員いなくなって
良かったよな〜

なんてことを言われるたびに

別に〜
そんなのあんまし関係ないしね。


と、ポーカーフェイスを決めていたけど

内心は

めっちゃ
ガッツポーズ!!


本当に信じらないことだけど
僕をボコった全ての連中はその後1ヶ月以内に
全員僕の前から全国散りじりバラバラに
姿を消し去るという現実に

これはミラクルなのか?
それとも本当に神様の仕業なのか??


と狐につままれた気分だった。

後で先輩に聞いた話によると
上級生たちの目がなくなる白川合宿は
毎年集団暴行があるらしい。

ただ規律や集団行動の他、何よりも思いやりを
大切にする寮生活において、弱いも者いじめは
絶対にご法度。

特に集団暴行は絶対に許されない行為であり
そんな輩(やから)は即刻退場処分という
厳しい処分があったそうで

・・・ってことは、つまり

“白川合宿には奉仕作業とは別に
集団暴行をするヤツを見つけ出すっていう
裏の目的があったってことですか!?”

まぁそう言うこっちゃ。

「やる」やつと「やられる」やつ。
そして「密告」するやつがおるって訳やな。

これは代々白川でやられたヤツだけの
シークレット情報だから、他のヤツには
絶対に口外するなよ。

・・・は、はい。

ってことは?

そうや。
俺も1年の時に白川でやられた口やねん。

そ、そうだったんですか。(驚)

表向きは清掃活動。
だけど裏では集団暴行をする連中を
見つけ出すための合宿。

そんな2つの要素があったという事実を知ることで
物事には光と影があるってことを僕は体で学んだ。

よく覚えておけよ。
パワーだけの卑怯なヤツは
絶対上には立てんってことや。


はい。

でもまぁ、お前が

“やる側じゃなくて
やられる方でよかったわ。”


そんな先輩のセリフが今も忘れられない。

そんな縁もあり、先輩には
いろいろと教えて頂くことも多く
困った時には何かと助けてもらっていた。

Sたち10名のヤンキーがいなくなってからは
また別のグループが動き出したが

結局は、頭脳、優しさ、パワー、体型、責任感という
総合的バランスの取れた不良Tが僕たち1年生の
権力者に選ばれることとなった。

不良としての「心・技・体」を兼ねそろえたTは
その後3年間もの間、僕たち学年の権力者として君臨し

クーデターを起こさせることもなく
400名を1つにまとめ上げてくれることとなった。

この時の僕は
Sたち10名がいなくなったことだけを
ただ素直に喜んでいたけど

後にこの白川集団暴行事件での出来事が

「1対10で戦った唯一の男」
として(苦笑)

後輩たちの間に語り継がれて行くことになろうとは
想像すらしていなかった。

一時的には、マイナスに思える
集団暴行だったけど

長い目で見れば、結果的には
超プラスに働いてくれた集団暴行。

一つだけはっきりと言えることは
あの時、やめなくてホントに良かったってこと。

そして

「これまでの過去」が「これからの未来」を
作るんじゃないってことを僕は体で学んだ。






posted by Morii at 16:02| Comment(0) | 日記

2010年03月10日

バイオグラフィーBLOG 20

そろそろ決まったのか?
1年の権力者は。

権力者ですか?
多分、まだだと思いますが。

でもそろそろ決まる頃だな。
もしかしてオメーじゃねぇだろうな?
(苦笑)

カンベンして下さいよ〜
こう見えても僕は超平和主義者なんですから
そんな大役絶対ないですって!(笑)

そんな気楽な会話を先輩としている中

そう言えば、そろそろだな。
白川合宿。

と先輩。

何ですか?
白川合宿って??

な〜んだ
まだ聞いてなかったのか。

白川合宿ってのはなぁ
まぁ簡単に言えば
岐阜の山奥での掃除だな。

??

山奥? 掃除??

説明しよう!

白川合宿とは
1995年12月、世界文化遺産として登録された
岐阜県「白川郷・五箇山の合掌造り集落」において
1週間の泊り込みによる清掃奉仕活動のことである。

え〜!?
何なんすか〜それ?


つまりそれって田舎に行って掃除を
して来るってことですか??

何でわざわざそんな田舎に行って
掃除しなきゃいけないんですか!?

俺に言っても知らねーよ!
毎年の恒例行事なんだよ。

16の僕には全く意味不明なことだった。

「白川郷」

世界遺産となった今でこそ
メジャーな観光地だけど
僕がまだ16歳だったあの頃は

山と畑しかない
わらぶき屋根のただの田舎でしかなかった。


当時でも
合掌造りという伝統文化遺産として
素晴らしい建造物だったことは
間違いのない事実だけど

芸術性「ゼロ」だった当時の僕たちにとっては
山と畑しかないわらぶき屋根のただの田舎でしかなく

その価値はほぼゼロに等しかった。

生まれて初めて降り立った白川郷の地。

(噂以上に)
な、何もねぇ〜

コンビ二の1件も何もないただの村に
本当にここは日本なのか!?
と、軽いショックを受けてしまった。

合掌造りの建物を見て

何なんだ!?この建物は??

本当にこんなトコで
1週間も掃除をして暮らすのか?

しかも食事は精進料理とのことで
ちょっと、いや、かなり不安だった。

今から思えば世界遺産での体験学習なんて
中々味わえない超貴重な体験だけど

まさに
「ネコに小判」
とはこのこと。(苦笑)

それがどんなに素晴らしいことや
どんなに素晴らしい物であっても

その価値や、その素晴らしさに
気付くことなく過ごすことは

ただ単に時間を過ごすだけで
終わらせてしまうことに繋がるって
今になって学んだ気がする。

価値に気付かないことを
きっと無知って言うんだと思う。

まぁ世界遺産に認定される随分前の話だし
しかも16。

その価値に気付けなくても仕方がないか。

時計ではなく、太陽が昇ると共に目覚め
そして太陽が沈むと共に活動を停止するという
健康的でカントリーな白川郷での暮らしに

日本昔話かいっ!!

と、思わず
突っ込みたくなる毎日だった。

来る日も来る日も
朝から清掃活動をさせられ

こんなことをして一体何の意味があるんだ?
何のためにこんなトコに来てるんだ?

あの頃の僕に“その意味”を見出すことは
とてもじゃないけど無理だった。

毎度毎度の精進料理に

腹減るよなぁ〜
久しぶりにポテチ食べてぇ〜
コーラも飲みてぇ〜


血気盛んな16の僕にとって
退屈ほど辛いものはなく

不平不満のオンパレードに
僕の態度は悪かったに違いない。

そんな合宿も残すところ
あと一日となった日の晩。

事件は起こった。

24年経った今でも鮮明に覚えている
僕の白川郷集団暴行事件。

身長180、空手二段のSを中心に結成された
10名ほどのグループによって

僕の知らないところで権力者争いは
幕を閉じ様としていた。

その10名の待つ部屋に
僕は呼び出されてしまった。

そこに座れ!

なぜここに呼ばれたか
分かってるだろうな?

明かりのない薄暗い部屋の中に立ち並ぶ
そうそうたるメンバーの顔を見た瞬間

僕の鼓動は激しく震えた。

お、俺ってそんなにスゴイの!?

どうみても強そうなヤツばかりなのに
そんな連中がこんなにも集まらなければ
倒せないほど、俺ってスゴイ男なのか!?

確かに思い起こせばこれまでにも
ちょっと目立ったヤツは簡単に殴られていた。

なのに僕は今の今まで
誰からもやられてはいない。
(先輩は除く)

つまり僕は
複数集まらなければ倒せない
スゴイ男だったのか!?

先輩の目がある寮での
10対1は物理的に不可能。

それを可能とするのは
先輩のいない今回のこの白川合宿しかない。

つまりこの瞬間は、偶然ではなく
数ヶ月前から計画されていた
超計画的集団暴行ってことになる。

つまり、それほどにまで
綿密に計画をしなければ倒せないほど
僕ってスゴイ男ってことなの!?

マジで〜!!(驚)

今回のこの合宿で集団暴行を受けているのは
間違いなく僕だけのハズ。

つまり400人もの中で唯一選ばれた一人ってことは
相当スゴイってことになるんじゃない!?

30分だったのか、1時間だったのか
時間はよく覚えていなけど

暗闇の中、殴る蹴るを受けながら
それに気付かせてくれた10名のヤンキーたちに
感謝の気持ちでいっぱいになったことだけは
今でもハッキリと覚えている。

部屋に戻るなり

だ、大丈夫だったか?

と心配して駆け寄ってくれる
クラスのメンバーに

全然大丈夫!!

という僕の笑顔に

な、な〜んだ大したことないじゃん。
心配して損しちゃったよ〜

と皆安心してくれた。

翌朝は全身筋肉痛で体中が痛かったことを
今でも覚えているけど

今となっては
肉体的苦痛の記憶なんて
わずか1日だけのこと。

それに対して
精神的元気と来たら
24年経った今でも超健在。

「自分の存在価値」に気付くことが出来た上
精神的にも一回り大きくさせてくれた今回の集団暴行は

暴行を受けた時間と肉体的苦痛を差し引いても
十分過ぎるお釣りが来るくらい
僕にとっては有難い出来事であり

今でも胸がキュンとする
懐かしい思い出の一つ。

その後、ユネスコの世界遺産として
登録された「白川郷」。

そんな世界遺産の中で集団暴行を受けたヤツなんて
世界中探しても、きっとそういないハズ!

だから僕の受けた集団暴行は
「世界遺産レベル」ってことで(苦笑)

今でも僕だけのちょっとした誇り。

そんな小さな誇りが24年経った今でも
“君はスゴイんだ!って僕を励ましてくれている。




posted by Morii at 18:40| Comment(0) | 日記

2010年03月09日

バイオグラフィーBLOG 19

恐怖のヤキ入れが終了してから
1週間が経ち

何だかんだと言っても、いつまで経っても
中学時代の延長でいたことに気付いた僕は

この時、初めて
今までのステージとは変わったんだ
ってことを身を持って知らされた。

確かに今となっては
中学までの友達なんて一人もいない訳だし

もちろん「鬼のS先輩」の存在だって
誰も知らない訳だし

これまでに経験した僕の出来事なんて
誰も知らないし訳だし

そう考えてみれば
ただの生意気な1年生に見られてしまうのも
全くもって無理はない話。

個人のミスは部屋全体のミスであり
部屋のミスはフロアのミスへと繋がった。

そして
フロアのミスは棟全体のミスにも繋がり

最終的に
2棟のミスは、5棟のミスと見なされた。

連帯責任を何よりも重んじる寮生活において
個人のスタンドプレーはご法度。

つまり僕個人の生意気さが、多くの寮生を巻き込み
あろうことか5棟の先輩方にまで迷惑をかけてしまう
ことに繋がってしまっていた。

マジでガビ〜ン!

何気ない僕の行動・発言が
こんな大きな問題に発展するとは・・・

そんな事実をまざまざと知らされたことで
さすがの僕もこれには大きなショックを受け
かなり凹んだ。

何とな〜く3フロアーの同期たちも
僕に冷た〜い視線を送っている様で

か、肩身せまぁ〜

それはまさに
「出る杭は打たれる」という
ことわざを、体で覚えた瞬間だった。

しばらくは本当に肩身の狭い思いをして
過ごした日々が今でも忘れられない。

自由になるために家を出たつもりの僕は
よりいっそうルールだらけの毎日に
不自由を感じながらも

だけど
これでやめたらマジで超へタレ。


同じやめるにしても
失った信用を回復させてからじゃなきゃ!

いつまでもクヨクヨしてたって
始まらない。

と、気持ちを切り替えた。

しばらくは
森井ってのはオメーか?
あんま出しゃばるんじゃねぇぞ。

なんて先輩に言われることもあったけど

捨てる神ありゃ
拾う神だってあるもの。

生意気で態度の悪い1年坊と
見なされた僕だったけど

そんな僕の噂を聞きつけ
わざわざ5棟から
僕に会いに来てくれた先輩もいた。

三重出身のわんぱく坊主ってのは
どいつだ??お前か?

やられたんだってな?
まぁ気にするなって。
1年坊はちょっとぐらい元気が
あった方がええんや。

あんまり大きな声では言えやんけどな
お前がやられた2年なんて
俺ら同期の中では超シャバ憎なんやで。
そんなもんに負けたらアカンで。

(そ、そうなんだ。)

実は俺も1年でいきなりやられたから
お前の気持ちは良く分かるけど
まぁここが踏ん張りどころやで。

1年間はちょっとキツイけど
この1年を乗り越えたら案外
おもろいトコやで。

そんな三重出身の先輩の励ましもあって
僕は不死鳥の様に蘇った。

これがのちの僕の師匠となる
パンクロックの帝王西尾先輩との
初めての出会いだった。

確かに考えてみれば

超恐いと思える先輩だって
つい数ヶ月前までは今の僕たちと
全く一緒、半泣きの1年坊だった訳だし

そう思えば何だか
あまり恐くなくなった気がした。

先輩、
今度部屋に遊びに行かせてもらって
いいですか?


え〜で。え〜で。
お菓子とジュースをたらふく持って
いつでも来いや。

(た、たらふくですか・・苦笑)

ハ、ハイ!
ぜひ遊びに行かせて頂きます!!

影があれば光もあるもの。

生意気で目立ってしまったからこそ
ヤキ入れをされ、皆に迷惑をかけて
しまったのかも知れない。

だけど

生意気で目立ってしまったからこそ
超強モテの先輩に可愛がってもらえたのも
また事実。

物事のマイナス面だけを見れば
いつまでも凹んでしまうけど

その反対のプラス面に目を向けることで
欠点はいきなり、最高の武器になるってことを
僕は知った。

以来
恐くて誰も近づくことさえ出来なかった魔の5棟へも
ちょくちょく遊びに行ける様になった僕は
いつしか同期からも一目置かれる存在となっていった。

ただし

光があれば
必ず陰もあるもの。

再び有頂天になっている目障りな僕の姿に
2棟2階のメンバーたちによる「森井殺し」が
ついに本格的に動き出してしまった。
posted by Morii at 22:52| Comment(0) | 日記

バイオグラフィーBLOG 18

親元で暮らしていた中学までの暮らしとは
180度変わってしまった生活に戸惑いながらも
それでも僕は少しずつ適応して行った。

って言うか、実際は

誰も何もしてくれない状況に
適応して行かなければ生きていけなかった
っていうのがホントのところ。

1年生は、一人の先輩に対して
絶対に3回挨拶をしなければいけない
というルールから始まり

方言はご法度。
イントネーションも含めて
早くなまりを直すこと。

服装、髪型、食堂やお風呂の入り方に
公衆電話の使い方から部屋に入る時のノックの仕方まで
「1年坊の心得」としてありとあらゆる細かいルールを
教えられた。

洗濯はココ。

いいか。洗濯機は5台しかないから
次、使うヤツの邪魔にならない様に
終わったらとっとと片付ける様にな。

という先輩の説明を聞きながら

え〜自分で洗濯するんですか!?

と思わずつぶやいてしまった僕に

馬鹿か?オメーは!
テメーの服をテメーで洗わなくて
いったい誰が洗うんだ??


これからは自分で洗濯するんだぞ。
そんなことでイチイチびっくりしてんじゃねぇぞ。
バカ。

(バカはないでしょ〜)
なんて思いながらも

「自分の服は自分で洗う」

言われてみれば
当たり前の話に赤面してしまったことが
今でも忘れられない。

まだ全自動洗濯機が
超珍しい高級品だった時代の話。

これは「二層式」っていうんじゃ。

・・・にそうしきぃ?

洗濯と脱水を2つに分けるんじゃ。
じゃけ(だから)「二層式」っていうんじゃ。

洗濯機の使い方を同部屋の
広島ヤンキーに教えてもらいながら

すごいよね!?
何でそんなに詳しいの??

と尋ねる僕に
彼はコテコテの広島弁で

俺は中学で野球部じゃったけん
あまり汚いと母ちゃんに悪かろぉ思て
汚れた自分の練習服だけはのぉ
毎日、自分で洗ろぉとったんじゃ。


(スゲー!!)

それまで自分で洗濯するなんて
1度も考えたことがなく

「自由になりたい!!」

そんなことばかりを考えていた僕は
ちょっと恥ずかしくなった。

家を出ること=自由じゃなくて
家を出ること=自分の洗濯は自分でする。

そんな新しい常識が出来たのもこの時だった。

と同時に

本当に失礼な話だけど
人は絶対に見た目じゃないってことも学んだ。

そんな分からないことだらけの僕だったけど
少しずついろんなことを学んで行く中で
人間適応能力抜群の僕は、徐々にその雰囲気にも
馴染んで行った。

同部屋や各フロアのメンバーたちとの親交も深まり
緊張で胸がいっぱいだった1年生たちの間にも
少しずつ緊張感が薄れ始め、次第にみんなの顔から
笑顔が見え始めて行った。

なんか楽しいかも!?

そう思え始めた矢先

近々、「ヤキ入れ」があるという
情報が僕の耳に入った。

説明しよう!

「ヤキ入れ」とは代々寮生に伝わる
なくてもいい代表的伝統文化の一つで

平たく言えば
1年生をしめるってこと。


そんな悪魔の情報に僕たちの笑顔は
一瞬でフリーズしてしまった。

何でも2棟の1年生の中で
早くも先輩に目をつけられている
ヤツがいるっていう情報を耳にし

・・・いきなり可愛そうに。

それが自分であることを
まだ知らない僕は、未来の自分を同情し

だけど、そいつのお陰で
先輩達がヤキ入れに来るんだから
ホンマ迷惑な話やで!


と未来の自分を攻め立てていた。

ええか、先輩たちは方言をめっちゃ嫌うそうや。
ほやで出来るだけ方言の使用は避けて
「こっち」の言葉を使う様に努力したってくれや。

勝手に広島ヤンキーが
犯人だと決め付けていた僕は

くれぐれも目立つことは避け
大人しくしとるんやで。


真顔でそんなことを皆に言い聞かせていた。

当時1〜3棟は1年生の棟で
4〜6棟は2、3年生だけの棟に分かれていた。

当時の僕たち1年生にとって
4〜6棟は別名「鬼ヶ島」と呼ばれ
近づくだけでも殺されるんじゃないかってほどに
恐れられていた。

中でも特にガラの悪いと言われる5棟の先輩が
僕の住む2棟の「ヤキ入れ」担当であることを知り

僕たちはいきなり恐怖のどん底に。

本当に鬼ヶ島から鬼がやって来るくらい
ナーバスな気分に、我が3階から完全に笑顔が消えた。

当時の寮は江戸時代を彷彿させるほどの
封建的でバリバリの超階級社会。

先輩が黒と言えば
大根でも黒になるほど
理不尽がまかり通る世界だった。


明日か?明後日か?
それとも今晩か??

いつ起こるかも知れないヤキ入れに
夜になるのが本当に恐くて
僕たち1年生は不安な日々を過ごした。

“1年は全員7号室に集まれ”

AM2:00ジャスト。
ついにその夜は来た。

明かりを消された真っ暗な部屋に
1年生が集められ、板の間に正座をさせられた。

(よりによってなんで僕の部屋なんだ??)

暗闇の中、何が始まるのか
ビクビクしていると

“サンナナ”の森井ってどいつだ?

??????

(へっ!?なんで僕!?)

恐る恐るそ〜っと手を上げると

お前か。
いつまでもなまりを直さずに
態度がデカイ1年坊ってのは。

マ、マジでぇ〜!!(涙)
先輩に目をつけられているヤツって
僕だったのかよ〜!!!


てっきり広島ヤンキーとばかり思っていた僕は
その時になって初めて自分が張本人だってことに気付いた。

(みんなゴメン〜 特に広島くんゴメン〜)
と思いながら

申し訳ないやら、恐いやら、情けないやらで
いっぱいいっぱいになってしまった。

それでも人一倍、真面目に大人しく
振舞っていた“つもり”だった僕は

でもよりによって何で僕なんだ!?
態度が悪いヤツは他にもいるハズ。
それになまりだったら広島や鹿児島のヤツの方が
もっとキッツイんとちゃうんけ!?

他人を攻めることで
自分を正当化することしか出来なかった。


この一件で、2棟全体のイメージを
大きく悪化させてしまっているなんてことに
気付く余裕は当然これっぽっちもなく

あの頃の僕は
ただただ自分を正当化することだけに必死だった。

運悪く「権力者争い」に名乗りを上げているメンバーが
僕の真下の部屋に住んでいるなんてことをまだ知らない僕は

この一件が僕の未来を大きく変えてしまっている
なんてことに、この時まだ気付く余裕は全くなかった。
posted by Morii at 08:38| Comment(0) | 日記